11月10日() 

枚方人権まちづくり協会の研修会に参加しました。

関ヶ原町歴史民俗資料館と関ヶ原陸軍火薬庫跡です。

関ヶ原町歴史民俗資料館では、旧陸軍火薬庫跡の関ヶ原町玉の火薬庫の説明を受けました。

正式名称は、「名古屋陸軍兵器補給廠関ヶ原分廠」

大正初期より昭和20年までの約30年間、旧不破郡玉村の一角(周囲6キロ、面積270ha)は火薬庫として使用されていました。東洋一といわれた旧日本陸軍火薬庫だそうです。

火薬庫が玉に設置された理由など詳細に説明をしていただきました。

その後は、現地に赴き見学可能なところを見せていただきました。

ガイドの方もおられ、説明を聞きながら土塁や洞窟式火薬庫を見学しました。

当時の陸軍による土地買い上げの様子や火薬庫については他言無用であったがために、よその村から嫁をもらえなかったとか…

戦後70年が過ぎ、当時のことを知る方はもちろん家族の方も少なくなり、伝える人がおられなくなります。

資料を残された方、その資料を大切に保存された方からの新たな資料や、時が過ぎたことで公開された軍の資料など、たくさんの資料が展示されていました。

 

しおん会での研修先「舞鶴引揚記念館」や「関ヶ原陸軍火薬庫跡」など、戦争体験者が語り継いだ「戦争の記憶」を刻印した戦争の遺跡、「負の遺産」戦争遺跡が、戦争を語り継ぎ、平和をはぐくむことにつながります。

枚方市内の戦争遺跡を巡るピースウォークいくよ!もそういうことです。何もかもなくなれば、戦争もなかったことになってしまうかもしれません。保存に力を注ぎたいと思います。

何があったのか、だからどんな未来をめざすのか、語り継ぐことの大切さを私たちは十分認識し、実行していかなければなりませんね。

 

 

 

 

11月15日()

世界人権宣言寝屋川・枚方・交野連絡会 会員研修に参加しました。

長島愛生園歴史館を訪れました。

私にとっては2回目の訪問です。今回は、学芸員が説明してくれました。

ハンセン病に対する偏見と差別が、国の政策によって助長された事実。

療養所に入所されている方は、ハンセン病という病気は治っているにもかかわらず、すでに高齢化していて何らかの後遺症を有し社会復帰が困難な状況で、ほとんどが愛生園を「終の棲家」として生活されています。

学芸員の方は、ハンセン病の歴史や感染力の弱い病気であり、現在は発症されている方がいないことを強調され、理解を深め、偏見や差別をなくすこと、また新たな偏見や差別を生ませないことをより強く述べられました。

その道を歩んでいきましょうね!!