7月30日~8月1日

退職教職員で構成されている「憲法第9条を誇りにする会」略して「誇りにする会」主催の「フクシマFW」に参加しました。


神戸空港から茨城空港へ、そこからバスで福島県本宮市 浪江町から避難されて仮設に住んでおられる福島県退職教職員Tさんからお話を伺いました。


仮設の空き地を利用して畑で野菜や花を育てられています。
少しでも、前向きに生きようとされているのだと・・・




放射線量が掲示されています。
モニターポストも近くにあります。






2011年から4年が過ぎましたが、福島の現状は何も変わっていない。

原発事故により、すべてのものが奪われた。戦争と同じである。

人間が住めないまち⇒放射能汚染がある場所になってしまった、と。


政府は、現在原発事故避難地域を、「帰還困難区域」「居住制限区域」「避難指示解除準備区域」の三つに区分しています。そして、一般公衆の被曝限度を年間1ミリシーベルト以下に定めているにもかかわらず、福島県内は20ミリシーベルト以下なら被曝してもかまわない と言っています。
安倍内閣は、「帰還困難区域」を除いて、「居住制限区域」と「避難指示解除準備区域」の住民に対して、2017年3月までに避難指示を解除する方針を6月12日に閣議決定しました。2018年3月で避難者への賠償も打ち切られることになっています。

除染作業がおこなわれていますが、線量が下がったからといって元の地に帰れるのでしょうか。

山林の除染は行われていません。

帰る帰らないの選択の自由の保障がされるべきであり、家があるのに帰れない現実。

4年も放置してある家が住める状況でもない現実も。 

東日本大震災からの「復興」の大合唱の中の棄民 という言葉に衝撃を受けました。

保障・賠償金が、自然災害と放射能汚染とでは異なるので、被害者間での分断もある、と。

目に見えない心の復興・支援はほど遠いのが現実です。

原発事故子ども・被災者支援法の理念はどこへ?ですよね。

「生きる権利の保障も子どもたちの選択の自由の保障もない」

その現実に私たちができることは何なのでしょうか。

まず、風化させてはならない。多くの人に現実を知らせること。

被害者に寄り添い、感性を持って生きること・・・


なのに、川内原発が再稼働した!! 

負の面しかない原発をなぜ再稼働させるのか?!


二本松市の岳温泉あづま館に着いてからも、福島県退職女性教職員あけぼの会 会長からも、「原発・福島からの報告」を受け、福島県教組の方からも「福島の教育現場」について話を聴きました。

いずれも、原発災害の影響は大きく、いつまで続くかわからない避難生活、離れ離れに暮らす家庭、保護者が職を失ってしまった家庭、等々 自分の将来に夢を描けない子どもたちが増えている。

教職員も被災者であり、避難した慣れない土地での生活も不安でありながら、日々子どもたちと向き合っているわけです。

放射能汚染により、残念ながら福島差別が現実に起こっているそうです。今必要な教育は、放射線教育とその中に人権教育の視点取り入れていくことである、と。


交流会では、私も連帯の挨拶をさせていただきました。


温泉は気持ちよかったですよ。露天ぶろにいる時も、浪江町からいわき市に避難されている方からお話を伺うことができました。

浪江町に住んでいた人たちは、地震の後、避難所に避難していましたが、原発事故の被災状況など知らされずに、口コミで、逃げなきゃ、みたいな感じで、さらに避難されたそうです。


枚方から参加したみんなで

2日目は、バスで、フィールドワーク

飯館村⇒南相馬市⇒浪江町⇒双葉町⇒大熊町⇒富岡町⇒広野町⇒いわき市

浪江町は、帰還困難区域であり、一般の人は町内への視察等での立ち入りはできません。

住民と一緒であれば、通行証の提示により可能となっています。


夜は、いわき市 夜明け市場で食事を楽しみました。







浪江駅とその周辺

飯館中学校


飯館中地面では、線量の最高値を示す

浪江中学校地震時そのまま


すし桶が…卒業式後だったんだね
荒れ放題のグランド
体育館に避難していたが、原発事故により急遽他に避難、車がそのまま放置








除染がされていない田畑は荒れ放題、木も生えてくる

除染済み
放射性廃棄物が仮置き場や除染地の敷地内などに山積み
中間貯蔵施設の建設は進まない





高速道路が無料に…

「原子力明るい未来のエネルギー」の看板が向こうに
明るい未来は原子力に奪われた


車内でも、帰還困難区域を通るときは、線量が高くなる





富岡駅跡
向こうにある黒いのは除染物


地震・津波の被害がそのまま

国道6号線は開通したが、放射線量が高い所は、駐停車禁止

家の除染は拭き上げ
道一つを隔てて、帰還困難区域と居住制限区域がある広野町
道の向こうとこっちで、どれだけの放射線量が違うというのでしょうか?!

私自身、フクシマとここまで向き合うことは、今までありませんでした。

あらためて、フクシマの現実と向き合い、何をどうすればよいのか、できることは何なのか、考えていかなければならない、と強く思いました。


宮城県や岩手県では、津波があったところは、居住地域にせずに、高台に新たに家を建てたりしています。ある意味、復興が進みつつ、風景はずいぶん変わっていました。

しかし、福島では、2011年3月11日の震災と原発事故からの被害状況は、今でもほとんど変わらないのが現実ではないでしょうか。


ふくしまが、元の福島にもどるのでしょうか。 政府の復興は、福島の目線では行われていないことだけは事実です。

安心して過ごすことができる故郷を取り戻したい!! 

どこで住むことになっても、政府と東電は、きっちりと事故の責任を果たさなければならない。


「誇りにする会」FWでは、歌を一つみんなで歌うことになっているそうで・・・今回は「赤い屋根の家」でした。

「花は咲く」は歌いたくないということで、住むことができないご自分の家への思いがいっぱいの唄「赤い屋根の家」でした。



3日目は、朝はKさんの福島のお友達の案内で、塩屋埼へ。

美空ひばりさんの唄で有名らしい・・・











そして、午後は 被爆70周年 原水爆禁止世界大会 ふくしま大会に参加

原水禁大会 ヒロシマ大会 での報告で合わせて、報告しますね。


高校生大使の発言





原水禁大会実行委員長の力強い挨拶