3月1日は、1939年、当時の陸軍の禁野火薬庫が大爆発を起こし、700人を超える方が死傷しました。

また、1954年、第5福竜丸がビキニ環礁でアメリカ軍が行った水爆実験に遭遇し、被曝した日です。


1989年に、二つの大惨事を風化させず、市民一人ひとりが平和の大切さと平和への貢献について考える日として、枚方市は3月1日を「枚方平和の日」と制定しました。

戦争と平和を伝えるため様々な平和事業がとりくまれています。


今年の「ひらかた平和フォーラム」では、3月1日には、メセナひらかたで、東京都立第五福竜丸展示館学芸員 安田和也さんの講演「第五福竜丸は今も航海中」がありました。









第五福竜丸が遠洋漁業に向かった歴史などから話され、ビキニ環礁でアメリカ軍の水爆実験に遭遇。

23人の若い漁師たちが、死の灰をかぶり、被ばくしたが、その時は、何もわからずに焼津港へと帰ってきたこと、乗組員はいま生存7人、16人死去されていること。

漁船全体が被曝、放射能汚染されていたこと、とったマグロも汚染されていて市場に出回っていたこと。

乗組員は、何の情報もなかったので、自分たちが被ばくしていたことも気づいていなかったこと 等々。

何かおかしいということで、病院に行って、初めて水爆実験の被害にあっていたこと、マグロも。

放射能汚染を検査して、マグロを出荷していたことなど、その時の状況を詳しく話されました。

そして現在、第5福竜丸を保存する取り組みの結果、1976年6月、都立第五福竜丸展示館開館されました。多くの来館者の中、子どもたちも多く、学芸員として、子どもたちに語りつぐことが続けられています。

その語り部の中に、生存者の一人大石又七さんがおられます。

汚染魚を捕獲した漁船は992隻と記録されていて、国民全体が水爆実験の影響を受けたということです。

ヒロシマ・ナガサキ、そして戦後核実験でビキニでヒバク・・・その教訓を現在に生かし、わたしたちが直面する核の問題に向き合っていくことが求められているのではないでしょうか。

マーシャル諸島の住民の被害については、詳しく述べる時間はありませんでしたが、

現在の核の問題を許していくのか、どんなに安全と言われても許さないのか、わたしたちはどちらを選択するのか、と安田さんは締めくくられました。







休憩をはさんで、市内の小学生の平和学習の成果の発表がありました。

殿山第一小学校3年生 オペレッタ「ちいちゃんのかげおくり」 素晴らしかったです。子どもたちの表情豊かな唄など、涙腺が緩みます。

中宮小学校5年生、地域にある禁野火薬庫や平和ロードなどを班に分かれて新聞をつくり、そのとりくみ発表をしました。やっぱり高学年ですね!


そしてロビーでは、渚西中学校の平和学習の成果、それぞれ生徒作の新聞が展示されていました。



内容が大変濃く、素晴らしい平和フォーラムでの発表でした!

残念なことが一つありました。それは、それほど多くの人が来られていなかったことです。

もっとPRが必要なのかもしれませんね。もったいない!でした。


「枚方市平和の日」がある3月を「枚方市平和月間」と位置づけ、平和や人権に関する様々な事業も開催されています。

平和資料室特別展「第五福竜丸」 3月3日~12日、枚方市立中央図書館1階平和資料室

メセナ枚方会館では、「ピース&ヒューマンライツシアター」

3月3日15時~16時 エフエムひらかたでは、平和特別番組

企画展 吉田重信「光の鳥」 市民ギャラリー



そして、3月11日(水)には

12000個の「あかり」に平和のメッセージを託し、市民の皆さんや子どもたちとともに「平和の燈火(あかり)」が発信されます。

また、東日本大震災から4年目を迎え、震災で犠牲になられた方々への哀悼と、復興のメッセージとしても枚方から届けられます。

岡東中央公園にて、17時45分より点火されます。誰でも参加できますよ!!