8月7日~10日 3泊4日で、18人の大所帯で韓国に行きました。
7日は、仁川空港から直接「戦争と女性の人権博物館」へ
バスを降りてから、住宅街を歩いて博物館に向かっていると…
家の壁などに絵を描いている若者が…
ハルモニたちが作っているアクリルたわしをモチーフにした絵だそうです。


3年続けて見学していますが、心はいつも辛くなります。

外壁の絵(平和通りと名付けられたようです)や絵を描くのに多くのボランティアが参加していたこと、特に若者が多く係わっていること。
戦時被害女性を支援する寄付金を集めるために創設されたナビ基金で、アフリカのコンゴの女性たちを支援するハルモニたち。
それらが未来への希望につながっていると感じることができたことがうれしいです。

herstory(少女の物語)の日本語字幕版を今年も観ました。
そして、梁さんからお話をお聴きし、今までよりもより理解を深めることができました。
回を重ねるごとに、自分なりに気づくことや考えることができます。
特に、今の日本には、ヘイトスピーチが増えていて、日本軍「慰安婦」が捏造だという声が少しずつ大きくなりつつあります。
そんなことを絶対に許すことはできないし、誠実な対応を政府は行うべきだし、
東アジアの平和な関係をしっかりと築いていかなければならないのです!!

当初の予定では、安城(アンソン)にある艇対協の宿泊施設「平和と治癒がであう家」に泊まることになっていましたが、水道の水が出ないことが判明して、急遽群山にそのまま行って泊ることになりました。
「平和と治癒が出会う家」て素敵な名前で期待していたのですが、残念でした。

急遽取った宿は、ちょっとびっくりのホテルでした。
そこのオーナーのお母さんが、日本から群山にその歴史を学びに来たということを知って、翌日の見学のガイドをしてくれました。そのお母さんは日本にも住んでいたことがあって…すごく親切にしていただいたことが、とってもうれしかったです。
びっくりホテルの印象が軽減されましたよ!

群山(クンサン)は港町です。
1899年5月1日、大韓帝国政府による自開港宣言という形式で開港しましたが、実質は日本が一手に管轄したのです。
日本人「居留民会」が組織され、治外法権が認められ、警察権も日本領事警察が独占しました。
1910年「韓国併合」時には群山人口の半数を占めるほど日本人の数が増えていました。
その過程で日本人は、朝鮮人の土地家屋を金貸しや詐欺に類する行為で巻き上げました。
日本の米騒動(1918年)を機に政策化された「産米増殖計画」のもと、全北地方には日本人が経営する農場が集中し、群山は日本へ移出する米の集積地として栄えました。それ故、大量の日本人が流入し、多くの日本家屋が建設されました。
近代化が遅れたこと、市長が古い建造物を残す施策をとっていることもあって、日本家屋や当時の建物は今でも町の至る所で見つけることができます。


8日朝は群山近代歴史博物館を見学しました。
群山の古代から現代までの歴史がわかるようになっています。
「沃溝(オック)農民抗日抗争記念展示室」があり、全国最大の農民抗争だった沃溝農民抗争の過程を知り、過酷だった農民の暮らしを理解するための場もありました。

途中で、韓国の5本の指に入るおいしいパン屋さんで休憩しました。
アンパンが有名で、それを買う行列がすごかったです。

次に、東国寺(トングクサ)を訪れました。
東国寺は日本植民地時代に建立された曹洞宗の寺院で、韓国に唯一今もなお機能しているお寺です。
門柱は、かつて「昭和9年6月吉日」となっていましたが、日本から解放後「昭和」の文字がえぐりとられています。

2012年5月23日、青森県・曹洞宗雲祥寺の一戸彰晃住職が「恥辱の36年、日帝強制占領期の歴史遺物展示会」に資料150点余りを寄贈した。 2012年9月16日、一戸住職は「東国寺を支援する会」代表として、「海外布教という美名の下に日帝が恣行した野慾に迎合し、数多くのアジア人たちの人権侵害と文化蔑視、日本文化の強要、尊厳の毀損などは仏教的教義に外れた実に恥ずかしい行為で、これを真心に謝罪して懺悔する。特に明成皇后弑殺の暴挙、創氏改名で国家と民族を抹殺してしまったが、曹洞宗はその尖兵であった。民衆に対する宣撫工作を担当して、自ら進んで諜報活動を行う僧侶さえいた。仏法を世俗法に隷属させて他民族の尊厳性と正体性を侵奪する過ちを犯したのだ。私たちは誓う。二度と過ちを犯しはしない」と刻まれた「懺謝文碑」(日韓対訳)を建立した。(Wikipediaより)


ガイドしてくれたお母さんのお知り合いが、説明をしてくれました。
なぜ群山が米移出で栄えたか、も知ることができました。(日本の値の土地は1/10,米は1/4 精米せずに輸出したので高品質、仁川や木浦と違って)


日本の植民地都市のシンボルは「神社と遊郭」だったそうです。
群山でも居留民団の諸事業の一環として、当然のように遊郭がつくられたそうです。
日本人居留地から始まった日本式公証制度は、次第に朝鮮社会に増殖しました。
群山の遊郭は、解放後は米軍のための性売買地区「基地村」へ、また韓国人男性の「性売買集結地」にされてきたそうです。

2000年9月19日、群山市大明洞(テミョンドン)の性売買施設火災が発生。業者は女性を監禁して、売春を強要していたので、逃げられず女性5人が死亡。
女性団体が事実関係を明らかにする中で、女性たちが監視・監禁され、売春を強要されていた事実や人身売買組織と警察など音の癒着が明らかにされたとのことです。

しかし、2002年1月29日、再び、群山市開福洞(ケボクトン)の性売買施設で火災が発生し、女性13人が死亡、2人が負傷。今回もすべての扉が施錠され、窓も板などでふさがれていたと。
テミョンドンから2年もたたずに、同様の事件が起きたため、関係当局に対して事件の真相究明と責任者の処罰そして、性売買防止法の制定を求める声が高まり、2004年9月23日、性売買防止法が施行されました。
現地を訪れました。整地された跡地に大きな木製の壁面があり、「クンサンケボクトン 火災惨事12周年追慕式」の横断幕が張ってありました。


ソウルに戻り、夜は、昨年もお世話になった金楽起さんご夫妻、ずっと通訳をしてもらった古橋綾さん、仲間の和田さんも加わって、にぎやかに過ごしました。

9日は、自由行動日です。
免税店で買い物をし、景福宮(キョンボックン)正門の光化門で王宮守門将交代儀式を見て、
安重根義士記念館を見学しました。
安重根は、祖国の独立と東洋平和のために伊藤博文を暗殺した韓国での英雄です。

南大門、明洞などを訪れ、自由行動は終了。
夜のソウルタワーに行きたかったのですが、タクシーに連れて行ってもらえず、ホテルに帰りました。

ソウル市役所の前で、セウォル号沈没の犠牲者に献花台があり、献花をしてきました。

10日は、台風の影響で、かなりの便が変更をしていましたが、私たちは、予定通りに日本に帰ることができました。
いつもより、1日長い旅でした。
ブログも長くなってしまいましたね。
最後まで読んでいただいた方には感謝です!!

東アジアの関係が、厳しい状況ですが、一般の人々から、反日感情を感じることはありませんでした。
私たちは、歴史に真摯に向き合うこと、そこから平和な関係を築くことを願っています。
観たこと、聴いたこと、触れたこと、感じたこと などをまた発信していくことが大切だと思っています。
正しく理解し合うことが、まずは求められていることですね。