1月13日(日) 午後からは、大阪市立市民交流センターひがしよどがわ に行きました。


すすめよう!子どもとおとなの「いい関係」づくり~体罰容認意識をいかにのりこえるか~

というタイトル。

「なくそう!子どもの貧困全国ネット」のMLで、コーディネーター神原さんからのメールで知ることができ、参加することができました。

第1回が昨年7月ごろにあったらしいですが、情報をキャッチできていませんでした。


体罰を苦にして、ひとりの生徒が自ら命を絶つという大阪市立桜宮高校での悲しい出来事から、はや1年。この一年で体罰をめぐる状況の何が変わり、何が変わっていないのか。

これから体罰に頼らない教育実践をひろげていくためには、学校の内と外で、どのような取り組みが必要なのか。参加者の皆さんと共に考えたいと思います。


とチラシにはありました。


「学校、スポーツと体罰:桜宮事件から1年」と題して、住友 剛 連絡会共同代表・関西(京都精華大学准教授)が基調報告をされた後、

シンポジウム「子どもとおとなの『いい関係』づくり~たいばつようにんいしきをいかにのりこえるか~」

神原 文子さん(神戸学院大学教授)のコーディネートにより

住友 剛さんも入り、

田村 公江さん(龍谷大学教授)が大学教員の現場から

佐子完十郎さん(公立高校教員/日本スクールソーシャルワーク協会副会長)が部活指導の現場から

成山 治彦さん(大阪人権博物館理事長/大阪教育大学理事)が教育行政と人権啓発の経験から

それぞれ実践や意見・考えを述べられました。


教育界でも「行き過ぎた指導」と「体罰」と区別がされています。

本来、暴力を用いて行う指導、そのものが許されるものではない、とわたしは思っています。

でも、少しぐらいの暴力は、指導という名のもとに、容認されているのが現実です。


学校内でも、力によって生徒をコントロールしようという思いが強いです。

枚方市内での体罰で書類送検された事例も、まさしく力に頼って生徒指導をした結果です。

学校内で、一クラス40人の児童・生徒を指導する時、時間に余裕もない、心に余裕もなければ、力に頼ってしまう状況をわからないわけではないのですが・・・難しいですね。


子どもの困難、苦悩に徹底的に向き合う、そういうおとながいなければならないんですよね。

学校にも、もちろん家庭にも…または地域にも(スクールソーシャルワーカーがその役割を)…

ことばで理解し合う関係をつくることが、学校で求められています。ただ、そこには多くの時間が必要です。私は、子どもとしっかりと向き合うために、やっぱり教員に余裕が必要だと思います。

ただ、こどもたちにも自分の思いを伝える力、その経験が必要ですよね。


シンポジストの皆さんのお話を聴いていて、自分の中で、いろいろと整理される部分もありました。

やっぱり、1994年に、日本が批准している子どもの権利条約の理念が、しっかりと根付くこと。

そして、具現化されることが、今本当に求められていると強く思いました。特に学校現場でね!

そのために何ができるか…課題はまだまだあります。

「いじめ」が子どもの死につながったとき、国は「いじめ防止対策推進法」を施行しました。

「体罰」が死につながっても、「体罰」は絶対してはならない、という方針だけです。

そこに、まだまだのりこえられない状況があるのです。


「体罰」という表現に共通認識が持てていないのではないか、と思うことがありました。

「体罰」とは「懲戒を加えることができる」事象(非行・問題行動等)に対してさえ、用いることを禁止されている行為(体に罰を加えることによって懲戒と同等の効果を期待して用いる)

問題になっている「体罰」の対象者は懲戒の対象者ではない  と。


そうですよね。桜宮高校の自死した生徒は、キャプテンだから、体罰を受けていた…懲戒の対象者でもないのに…なぜ、彼に暴力・暴言が振るわれたのか…

こんなに理不尽なことってないよ…!!


人権の視点に立った指導や子ども観の確立。

子ども自身が、子どもの人権を学び、獲得する。

学校の中のシステムを根本的に変えて行く必要があるのでしょうね。


枚方市議会で「体罰」について、教育委員会の報告がなかったとか、で何か文句言っている議員に、問題の本質はそこではないでしょ!と、私自身がイラついていたことを思い出してしまいました。



この集会に、平松前大阪市長が参加されていました。

そして発言もされ、お元気な姿に何だかうれしくなって声をかけてしまいました(笑)


~体罰容認意識をいかにのりこえるか~

課題解決には、まだまだ時間が必要です。

このとりくみ、もちろん私のとりくむべき課題でもあります。

皆さんと共に考えていきたいです。