8月7~9日 小学校の先生や退職者と韓国に出かけました。
目的は、「戦争と女性の人権博物館」「西大門刑務所歴史館」の見学です。
7日、ソウル市庁のすぐ近くのニュー国際ホテルにチェックイン後、緑色の地下鉄に乗って、広大入口駅で降り、ソンミサンの方に向かって歩くこと15分ぐらい。略地図を見ながらなので、迷いながらでしたから、もう少し時間はかかりましたが、途中おじさんが、私たちに気が付き、向こうと教えてくれました。住宅街の中に、博物館はありました。
1階窓口でチケットを購入、チケットには、韓国で初めて日本軍「慰安婦」被害者であることを名のり出た金学順(キムハクスン)ハルモニが紹介されていました。日毎に違うハルモニが紹介されているそうです。
地下1階へと狭い通路と暗い階段を下りていきます。そこから展示が始まります。被害者が経た戦争と苦痛の時代、戦場と慰安所を背景に被害者の苦難の人生を表現した地下展示室となります。暗く狭い空間で被害者の苦悩を体験することとなります。
その後は2階へと進み、日本軍の文書や関連資料の展示を通じ、日本軍「慰安婦」問題の真相が明らかにされます。そして、問題解決運動の足跡を追い、水曜デモの現場を経験することになります。日本大使館前の平和路に建てられた同じ平和の碑が展示されています。
生涯館では、タッチスクリーンを利用して被害者の人生の記録を詳細にみることができます。
追悼館では、故人となった日本軍「慰安婦」被害者の顔写真と亡くなった日付が一つ一つレンガに。名前と顔を残せないまま犠牲となった被害者も一緒に追悼することができます。
韓国で名乗り出た235人の被害女性は、現年齢80歳を超え無念のうちに亡くなられる方が相次ぎ、生存の方は61人になってしまっているそうです。
寄付者の壁として、この博物館が建設されるまで募金された方々の名簿が壁面に刻まれています。日本からの寄付者の名前は全体の2/3位を占めます。「野村いくよ」「野村いくよピース&チャリティライブ実行委員会」が刻まれているはずなのですが、残念ながら見えませんでした。
1階へと下りていき、常設館では、現在戦時下で苦しんでいる世界の女性について多様な事例と写真を通じ展示され、壁面の映像では戦争の惨禍を一片のミュージックビデオを見るかのように鑑賞することができます。また、企画展示館では、博物館開館を記念した「戦争と女性の人権博物館の開館まで」が紹介されていました。全体を通して、日本軍「慰安婦」問題を解決するために活動し、現在も続いている戦時性暴力問題を解決するため連帯し戦争と女性への暴力のない世界をつくるため行動するアクティブミュージアムとなっています。
書かれている文字は、もちろんハングルなわけで、通訳ガイド機による見学となりましたが、日本語ガイド機が入った翌日に伺ったわけでラッキーでした。
(社)韓国挺身隊問題対策協議会が2003年末に「戦争と女性の人権博物館」の建設計画を発表してから、諸問題を抱えながら実に9年の歳月を経て実現することとなった次第です。
昨年8月30日、韓国憲法裁判所が「日本軍『慰安婦』問題の解決のために韓国政府が日本政府と交渉しないのは憲法違反だ」との判断を示しました。その後、この1年間、韓国政府は日本政府に何度も二国間協議を呼びかけているにもかかわらず、日本政府はこれに応じていないそうです。被害者であるハルモニたちの人権回復のために、国として誠意ある対応をするべきだと思います。


見学後は、広大入口駅までの間にある焼肉屋さんで夜ご飯を…テジカルビ、サムギョプサルなど豚肉焼肉を大変おいしくいただきました。
そのお店で知り合った日本人が近くでカフェを開いているということで、そのお店にもいきました。パン職人のMatsuzawa Tsutomuさんが、韓国の友人に誘われて一緒にカフェをオープンされました。cafe Du dart dartcoffeeを生豆で仕入れ、自家焙煎し、パンもケーキも自家製です。毎日彼が焼いています。焼きそばパンやたこ焼きパンもありました。関西の人には食べてもらいたくない、と言っていましたが。もちろんコーヒーの味もよし!パンもケーキもおいしかったです。寝屋川市出身だそうで、びっくり(^o^)丿


8日は水曜日!! 挺隊協が1992年1月8日から毎週行っている水曜行動があります。
ホテルから日本大使館前までは歩いていけるということでみんなで向かっていると、行列に遭遇しました。
どうやら、日本軍「慰安婦」被害者に対しての慰霊が行われるような様子です。
向かうところは同じなのでついて行っていたら、もうすぐ大使館前というところで、デモンストレーションは警察によって止められてしまいました。のぼりややぐらを置いて人だけが移動され、平和の碑を前に、慰霊行事を行われました。

8月8日(水)には、世界各国・地域で水曜デモが連帯して行われたそうです。ソウルでも夏休みということもあって学生や子どもたちが多く参加しました。


最後までは参加せずに、昼食をとってから次の目的地に向かいました。
独立門駅で降りると、壁面に3.1独立宣言が掲げられています。
以前にも訪れたことがあるのですが、その後西大門刑務所歴史館は発掘調査が行われ、2010年にリニューアルされていて、復元された建物もありました。落書きとかがあった壁も白色にきれいに塗られています。凄まじい拷問の様子をあらわす展示は減らされたようです。
海軍士官学校の学生が日本語でガイドをしてくれました。
この刑務所は、日本が朝鮮を侵略し植民地支配していた時代に、朝鮮の独立運動家たちを捕らえ収監と拷問を行った刑務所です。建物は朝鮮半島で始めての近代的な監獄として、日本政府が1908年に建築。終戦までに2階建てレンガ造りの獄舎や、死刑場、死刑囚の獄舎群が造られ、日本植民地時代に朝鮮半島に設けられた刑務所の中で最大規模でした。解放後も刑務所として使われていましたが、1987年に閉所した後、1998年に歴史館として開館しました。パンフレットには、大韓民国の独立と民主化に向けた闘争の歴史が込められている現場と書かれています。日本軍がどのような支配と拷問を行ったのか、そして二度と戦争を起こしてはならないと訴えている場でもあるわけです。


内容が濃い二日間を経て、あとは自由行動です。
明洞でマッサージをしたり、買い物をしたり、仁寺洞でも餃子を食べたりしました。
南大門の市場にも行き楽しんできました。
食べたものを全部写真にとることができませんでしたが、アワビ粥はやっぱりおいしかったです!


一緒に行ったSさんを日本のお父さんと呼ぶ金さんとの話も、今まで気づくことのなかったことを気づかせてくれました。実際に自分が訪れて、人・モノ・場所と出逢い、そしていろいろなことを知ることの大切さを私たちは強く感じています。
今回も様々な出会いから多くのことを学びました。
真実は人によってその人の真実があるのでいろいろあるわけですが、事実はひとつです。
しっかりと事実に向き合い、暴力のない平和な社会を築いていくためにこれからも多くの仲間と歩んでいきたいです(^^)v

竹島問題などで韓国との関係がさらに緊張状況にあります。外交というのは難しいですが、お互いを思いやりながら本当の国益とは何か、をしっかりと問うことが必要ではないか、と思います。
今日は、8月15日日本にとっては終戦の日、韓国にとっては、独立(解放)の日(光復節)です。