橋下府知事が、知事を辞職し、大阪市長選への出馬を表明しました。
そのこともあり、「大阪維新の会」条例案が、選挙の争点(?)にもなるらしく、府議会では委員会付託され、審議がこれから行われようとしています。


教育を政争の具にはしてはならない、と考えていますが、11月27日の大阪府知事・大阪市長の投票日までに、なんとか大阪都構想も、教育基本条例案・職員基本条例案も、とんでもないものであることを少しでも多くの人に知っていただかなくてはならないと思っています。


10月24日(月) 「橋下」主義(ハシズム)を斬る 大阪の「今そこにある危機」を考える市民集会 2回目が開催されました。
テーマは、「橋下」主義(ハシズム)は子ども・若者の希望を奪う 維新の会「教育基本条例」案の罠(わな) でした。
問題提起 として、維新の会「教育基本条例(案)」はどこが問題か? ということで、中島岳志さん(北海道大学大学院准教授)が1時間弱話されました。
橋下知事についてではなく、橋下主義が受け入れられる背景、社会は何なのか、という視点で述べられました。支える風潮の一役を自分も担っているのではないか、だからこそ議論していきたい、と気分に流れるのではなく「議論」の必要性を強調されていました。
バブル崩壊以降、大きな災害や事故、労働環境の変化等々、政治への不信も含めて、閉塞感から抜け出せない現状。
誰かが・・・という時に、A or B、 Yes or No、でズバッと断言し、敵を見せてくれる政治家への期待が高まっている。小泉劇場以降、変わっていない社会です。
「格差社会」はさらに拡大してしまっている中で、身近な自分よりも少しでも良い条件で生活している人に、怒りの矛先が向けられてしまっている、既得権益バッシングがされてしまっている(それがブーメランのように自分の首を絞めることにつながることには気が付かずに)こととなっています。
橋下知事はイデオロギーの政治家ではなく、彼の論理は一貫した既得権益バッシングである、ということでした。
以前は、輿論(よろん)(パブリック・オピニオン)と世論(せろん)(ポピュラー・センチメント)と区別がつけられていたのに、今では、世論(よろん)(ポピュラー・センチメント)大衆的気分だけになってしまっている。
中島さんの明快な理論に、ストンと納得できることばかりで気分がよかったです。
教育基本条例のポイントは・・・?教育の政治主導 ?学区制の廃止 ?3年連続定員割れで統廃合の対象 ?学力テストの結果公開:市町村別、学校別  ?校長の公募:「マネジメント能力の高さを基準」 ?教員の評価:相対評価(5%のD判定) ?保護者、地域住民の学校運営への参加 を挙げられました。
これらは、子どもたちや教職員を競争の中のモノサシだけではかることになります。
様々なモノサシがあるから、子どもたちは個々の持ち味を認めうことができるわけです。
自己肯定感が低い人たちが、多い現状、自尊感情を育てる環境をつくっていかなければなりません。


上記のポイントを中心にしながら、鼎談 「橋下」主義(ハシズム)の教育に、子ども・若者の未来を託せない。 というテーマで、雨宮処凛さん、寺脇研さん(京都造形芸術大学教授)が加わり、行われました。


寺脇さんは、教育が専門の方で、また明快に教育基本条例の問題点を述べられ、大きく頷いてしまいました。公立学校は、だれでも受け入れることに意味があり、障害のある子や外国籍の子、様々な課題を抱えている子どもたちと共に学び、共に生きるこれまでの大阪の教育を捨てて、橋下主義の教育を大阪府民は選ぶのか、が問われている、と述べられたとき、私たち側の大きな問題なのだと、改めて気づかされました。
雨宮さんも貧困層の人たちが、新自由主義の小泉元総理や橋下知事を支持するのは、自分の生活がガラッと変わることを願っていて、彼らがそれを変えてくれると信じてしまっているから、と。
でもそれは決して無理なことで、成果主義や、経営観念だけで政治がなされるのなら、結局非正規雇用は増えていき、社会保障サービスが削られることになり、セーフティネットの網目が大きくなるだけで、自分の状況は変わらないのです。そんな社会の仕組みに少しでも早く気づき、ともに行動する人となってほしいものです。


これからどう発信していくのか・・・
相手をバッシングするのではなく、冷静に言いたいことを述べていく、地道に、立場が異なる人と議論をしていく、気分を超えたオピニオンを創り出していく 
ということばに、私もしっかりと応えていきたい と思いました。