10月26日~28日 日本女性会議仙台に参加してきました。
大会テーマは「きめる うごく 東北(ここ)から」


会場は仙台国際センター、大ホールで開会式が行われたのですが、収容人数の上限が参加者数より少なかったので、結局中継で一日目はプログラムをこなした次第です。


開会式の挨拶は、大会長である奥山恵美子仙台市長、実行委員会委員長の水野紀子さんでした。
さすが女性市長です。大会長も兼ねられたようです。



基調報告は、「日本の男女共同参画施策の現状と今後の課題について」と内閣府男女共同参画局長の佐村知子さん。10月に局長になられたところだそうですが、第3次男女共同参画基本計画の概要で力を入れたい分野について端的に報告されました。女性の参画指数の国際比較で、ジェンダーギャップ指数が昨年の98位から101位(135か国)に下がったことが、つい最近明示されたところです。ポジティブアクションについてや防災・復興と男女共同参画についてしっかりと確認することができました。


特別プログラムは、「女性たちが語る3.11~これまでと今と」 被災地の女性たちがどのような困難を抱え、どのように立ち上がってきたか、改めて3.11から現在まで振り返り、支援にかかわった女性たちが語りました。
実行委員会副委員長の宗片さん(特定非営利活動法人イコールネット仙台代表理事)がコーディネーターになり、5人のパネリストによってすすめられました。
1番目は、阿部憲子さん(南三陸ホテル観洋女将) 震災直後は宿泊客や地元住民350人を収容して命の砦となり、被災者が避難所から仮設住宅に移るまでの間、町民約600人の2次避難所となるなど、地元の生活再建に大きな役割を果たしました。



2番目は、丹野綾子さん(河北新報社石巻総局記者) 河北新報は地元新聞社ですが、震災発生後の翌日に仙台以外の新報社の力を借りて朝刊を発行して届けました。丹野さんは気仙沼市の被災地を取材したことを中心に話されました。震災前の日々を取り戻すのが日々の闘いとなっている、被災地のことを忘れられていくのでは、被災者の将来に夢はない、とも言われていました。



3番目は、二瓶由美子さん(桜の聖母短期大学准教授) 原発事故による予断を許せない福島の復興への道のりについて考察しようと、チェルノブイリ調査団にも参加。風評被害が復興を遅らせている、「フクシマ」とカタカナでひとくくりにしないでほしいと強調されました。若い女性の支援を、リスクコントロールできるよき有権者を育てたい、意思決定の場に女性を送り込んでいきたい、と教育面から話されました。
4番目は、伊藤仟佐子さん(仙台市子育てふれあいプラザのびすく仙台館長) 震災4日後から開館をされ、不安な日々を過ごしていた親子連れに安心な場所を提供。子どもへの支援物資を受け入れ、被災地に届ける活動や、心のケアの支援を行われました。子育てファミリーの地震防災バンドブック「大切な人を守るために今できること」を作成されました。
5番目は、石井布紀子さん(特定非営利活動法人さくらネット代表理事) 阪神・淡路大震災の際に被災し、その後、被災地でのボランティア活動推進や災害時要援護者支援をテーマに活動し、大規模災害が起これば、まずその場所に行って、ニーズなどを確認し支援されています。共感することを強調されていました。



どの方の話にも、とにかく来て見て知ってほしい!!風化させないでほしい!!とありました。


昨年3.11 テレビを通じての映像が、6月に訪れた風景がよみがえり、パネリストのお話には涙をぬぐってしまいます。
私たちは、しっかりと向き合っていかなければならないし、そしてそこから前進していかなければなりません。なかなか復興には至っていないわけで、政治の力が本当に必要です。私自身も、発信していくこと、できることを進めていきます。原発事故の影響にも…


 


27日二日目は、午前は分科会となります。私は第1分科会に参加。
「復興・防災に女性の声を~出す、ひろう、生かす」
佐藤理絵さん(河北新報社教育プロジェクト事務局部長)がコーディネーターになり、宗片恵美子さん、山地久美子さん(関西学院大学災害復興制度研究所研究員)、浅野幸子さん(早稲田大学「地域社会と危機管理研究所」客員研究員)がパネリストでした。
宗片さんからは、東日本大震災に伴う「震災と女性」に関する調査報告をされその結果を話されました。
山地さんは、「防災・復興に多様性を活かす」ということで、1:復興計画委員会・進行管理委員会は条例で定める 2:復旧・復興計画を災害対策基本法で法定計画化し、自治体は条例化する 3:まちづくり協議会に男女共同参画の視点を盛り込む(手引書に明記) 4:復興基金(民間・公的)の創設と女性枠の設置 5:女性の起業支援・活動支援のためのコンサルタント派遣事業の創設 と5つの提案をされ、具体的にデータなどを使い説明されました。
浅野さんは、地域防災対策・活動と女性 ということで、ワークショップ・イメージトレーニングや研修などを通じ、地域防災活動に女性の視点を具現化させる取り組みを中心に、多くの例を挙げながら話されました。
意思決定の場に女性が参画するために 1.女性の声を届ける仕組みづくり 2.女性自身のエンパワメント 3.連帯(女性だけでなく男女とも) 4.多様性を認め合う ということをみんなで確認しました。



午後は、記念講演「女性のエンパワメント~ノルウェーからのメッセージ」

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まずは、グロ・ハーレム・ブルントラント ノルウェー王国元首相のビデオメッセージがあり、アネッテ・トレッテバルグスチューエンノルウェー王国国会議員の講演でした。



ノルウェーは、ジェンダーギャップ指数2011年において、135か国中第2位であり、幅広い分野で男女平等が達成されていて、なぜそうなっているのかを、話していただけました。1979年に「男女平等法」が制定。クォータ制の導入(公的な審議会等にとどまらず、民間企業等にも及んでいます)。パパ・クォータ制により父親の育児休暇制度の導入(現在12週間、90%以上の父親が制度利用)。
アネッテさんは、1981年生まれで31歳です。2005年に国会議員になり、その時は30歳以下の10人が同時に国会議員になり、男女平等の政策を進めてきたそうです。「不可能なことはない、女性だって何でも手に入る、団結すれば何でも手に入る、社会を変えることも必ずできる」という力強い言葉にパワーをいただきました! また、彼女は、環境や平和について取り組む活動家でありたいと思っていたそうですが、社会の制度を変えることができるのはやはり政治家である、ということで政治家になったそうです。とにかく素敵な方でした!!


最後は、シンポジウム「きめる、うごく、東北(ここ)から」
辻村みよ子さん(東北大学大学院法学研究科教授)がコーディネーターとなり、堂本暁子さん(男女共同参画と災害・復興ネットワーク代表)、アネッテ・トレッテバルグスチューエンさんがコメンテーター、渥美由喜さん(東レ経営研究所ダイバーシティ&ワークライフバランス研究部長)、石本めぐみさん(RQ被災地女性支援センター副代表)、日置真世さん(北海道から地域づくりを創造・発信する場づくり師)がパネリストとなって すすめられました。
1)地域の再生:復興からの発信、男女共同参画によるコミュニティの再生
2)日本の再生:日本社会の再構築と男女共同参画の加速に向けて
3)政治・経済、地域の発展のためにー今後の課題
と3点に渡って、パネリストの発言、コメンテーターの発言がありました。



渥美さんがワークライフバランスの現状を報告、地域戦略としてワークライフバランスが極めて有効であること、女性主体の地域社会に男性も参加することによって地域の活性化がされることなど、男性一人だけでしたが、彼自身がノルウェーから学ぶことと資料を用意して話していただいたことが印象に残りました。



堂本さんの男女共同参画と災害・復興ネットワークの活動については、私自身6月議会においての質問にも引用させていただいているので、さらに理解が深まった感じです。



アネッテさんは、ポイントは、まずは政策をつくること、行動に移すこと、と言われました。
女性は、リーダーになることや、前に出ることの経験を与えられてこなかっただけで、トレーニングによりエンカレッジすれば、何でも可能になるんです!!
本当にその通りだと思っています。だからこそ私も政治の世界に飛び込んだのですから…

今回の女性会議は、すごく良かったです!! この会議をつくってこられた一人ひとりの力強い思いを感じることができました。本当に充実した時間をすごすことができたことに感謝です。



来年は徳島県阿南市で開催されます。


会場には、河北新報社の写真の展示、特別プログラムで書いたメッセージも展示されていました。




何回も日本女性会議に参加していますが、エクスカーションに参加したのは初めてでした。
27日夜は、松島円通院(徳川家康の孫のお墓がある)のライトアップに参加、池の水面に映った紅葉の景色には、感嘆の声を上げてしまいました!





28日は、仙台市内の被災地の視察をさせていただきました。
平野部の沿岸では、10mの津波は世界最大ではないかといわれているとのこと、防波堤となっていた松の木が根こそぎやられたり、陸の方へと倒れかけています。
家は全壊状況で、小学校の1階の窓が全部ないのは津波のせいです。バイクや漁船があちこちに転がっていたのが集められていました。









キリン工場では、仙台市と非難協定を2008年に締結をしていて、地震でタンクが4つ倒壊したが、建物そのものは被害がなかったので(土盛をして建てられていた)従業員、住民を含め481人が避難していたそうです。発電機があったので、テレビや携帯など情報を得られたことがよかったとのことでした。
4月7日の時点で9月に工場再開を発表し、目的をもつことによって前向きに作業をすすめられたようです。また、そのことが、他の人たちを元気づけることにもつながったわけです。
経験を活かし、備蓄品の種類や量を増加されているそうですし、災害時の避難方法も改められているそうです。




鐘崎笹かま館でも、商品を避難所に配布し、地域復興に寄与した話などを聴きました。
七夕祭りでここの飾りが、2009年から連続3回金賞を受賞されています。七夕館も見学しました。




今年の飾りは、左から蛍が飛ぶだけ水がきれいになりました、花火を上げることができるほど元気になりました、ということだそうです。


仙台市独自でがれき処理をするための焼却炉



仙台市内では、行方不明も含め971人が亡くなられています。死亡確認ができているのは891人。
女性会議の前日にも地震がありました。まだまだ不安な状況が続いています。
私たちは、ほんとうに今ここから、動いていかなければなりません!!


最後に、仙台市駅近くにある、仙台市男女共同参画推進センター「エル・ソーラ仙台」も見学させていただき、日本女性会議2012仙台 の終了となりました。