保護者として子どもには「やりたいことをやれるようになってほしい」というのが一番の願いだと思います。
そして、そのための環境をつくってあげようとしますよね。
これは「応援」。
同時に「こういう風に育ってほしい」という思いだってありますよね。
「できればいい大学にいってほしいし、安定した職業についてほしい」と願うのは別に不自然なことではないです。
こちらはどちらかというと「期待」ですかね。
別に前述したようなことを「期待」するのが悪いことだとは思いません。
現代社会において「幸せ」に定義があるとするなら、それが経済的余裕に大きく左右されるのは否めませんし、子どもの「幸せ」を願うのも親として当然のこと。
期待の比重が応援よりも大きくなりすぎると子どもにとっては精神的に負担になるかもしれませんが、何もかも子どもの好きなようにさせてしまうのは、例えば子どもが全く勉強しなかった場合などは将来的に大きなリスクを抱えることになるので、そのバランスはなかなか難しいなと思います。
子どもの目指すものが幼いころからハッキリしていれば少しはわかりやすくなるかもしれないけど、そういうパターンはむしろ少数派でしょう。
となると、最低限「道は踏み外してほしくない」とか「やりたいことが見つかったときには学力が足りなくてあきらめてほしくない」というところで親としての気持ちに折り合いをつけられるところが多いのではないでしょうか。
まあスポーツ選手を目指すからといって勉強しなくていいわけでもないですけどね。
今はどんなスポーツだって世界で戦うようになってるから語学がある程度できないようだと特にチームスポーツでは起用されなくなることだって珍しくありません。
女の子でも周りの環境によってはヤクザな男にひっかかちゃうかもしれないですし。
子どもたちにとって勉強が「やりたいこと」であることはほぼないですが、将来的に選択肢が減らないようにするためにはある程度の学力はつけさせておいた方がいいのは間違いないと思っています。
もっと言うと、本心そこまで求めていなくてもあえて「偏差値○○以上の大学しかいかせない」とプレッシャーかけるのもアリだと思ってますよ。
ほったらかしにしといたら全く勉強しなくてにっちもさっちもいかなくなったなんてのは怖すぎるし、本人のためにもならないので、ここは何らかの形でフォローしていった方がいいでしょうね。
普通の人は所ジョージさんのように好きなことだけやって生きていくのはほぼ無理なんで。
反抗期だと下手に「○○のようになってほしいの」なんて期待を口にするよりは先ほどのように「勉強しないやつに大学進学させるのはお金がもったいないから、勉強しないなら高校出たらとっとと働け」くらい突き放すほうが割り切れるかもしれません。
まあ、言い方は子どもの性格にあわせていろいろあるかと思いますけどね。
要は結論はいつもと一緒で「勉強だけはしっかりやらせとけ」ってことが言いたいわけです(笑)
「なんか気の利いたことを書こう」と思って書きだしつつ、結論は似たようなものになるって、やっぱ何も考えずにだらだら書くのってダメですね(;´∀`)
まあ実際にうちのような塾なんて学力アップしか期待されてないと割り切って、ゴリゴリやらせるだけですけど。
基本線として子どものやりたいことを「応援」するというスタンスを持ちつつ、ある程度の学力を担保できるようにフォローして、心の中で「期待」していきましょう。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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