◆過去ブログ(最終回)◆世界一周ただいま日本 | gosso horie代表 野本 雄樹blog

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『人としての一番の喜びは自分がしたことで誰かが喜んでくれた時』

世界一周過去ブログもいよいよラストです(*^^)v




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ただいま日本(2009.10月)




2009.10.03

大勢の人を巻き込み、振り回した僕の足掛け4年、夢見ていた世界一周が終わりました。

多くの方が応援してくれ、多くの方が支えてくれ、多くの方の暖かい声援のおかげで今日まで無事、旅を続けることができました。

僕自身、まだまだ大したこともない未熟な男ですが、たくさんの方の応援がそんな無力な僕にも計り知れない行動力とパワーを与えてくれました。


まず、旅に出たいと思ったきっかけは貧しい国の人達を見て、一体自分はその人達に何ができ、何を感じることができるのだろうか。

それが学生の時に抱いた、僕の旅に出たいと思った原点でした。

それが巡り巡って、次第に夢は飛躍していきいつの間にか自分の中のベクトルは世界一周へと変わっていきました。

旅をしていき、まず初めにアジアで壁にぶつかりました。

カンボジアという国が僕に強烈な衝撃、カルチャーショックを与えました。

アジアでは物乞いがまだ至る所にいるにしても、カンボジアは群を抜いて、そしてまたその状況も深刻で僕はひどく考えさせられたものでした。

何人もの小さな子達が必死で僕の足にしがみつきながら、何かを求めてくる姿は見るに耐えれなく、僕は溢れ出てくる罪悪感を隠せずにはいれませんでした。

何故、世界は平等ではないのだろう・・・

きっと、この時初めて僕は世界の現実と対峙したんだと思います。

日本で悠然と貧困で困っている人達を助けたいと思った、僕の漠然とした想いはあまりにも無力すぎると、この時痛いくらい感じました。

そして僕は、その複雑な心境のままカンボジアを後にし、ベトナムに移りました。

日記にも書いたよう、ベトナムではカンボジアの時に感じた子供達へ何かしてあげたいという想いに駆られ、小学校へお邪魔しました。

そこで僕は事前に買えるだけの文房具を買い、子供達に配ったのですがこの時はやっと少しは役にたてたかなという、すがすがしい気分になったんですが、徐々にこの自分が選択した行動にも疑問を抱くようになりました。

その一番の原因は母親からの一通のメールでした。


ゆうきへ

朝焼けのアンコールワットはとても美しいですね。
旅日記、とても楽しく読ませてもらっています。

陸路移動は大変でしたね。ようやったね。若いからできるのね。
行く先々で現地の人と交流して良い旅の思い出を増やしている様子に感心しています。
ぼったくりにも気をつけているようで、なかなか感心です。
これからも色々あるだろうけれど、だまされたり大怪我をしたりしないように、くれぐれも慎重に乗り切っていってね。

あなたがベトナムの小学校に行って子供たちに文房具を配ったくだりを読んで、「ん?」と思いました。

あなたの日記を読んでいて、昔、私たち一家がバンコクに住んでいたころ、繁華街の陸橋の上に必ずと言っていいくらい
障害を持った子供が座らされて物乞いをしていた風景や、渋滞や信号待ちの車の窓に群がってきて新聞や花を売りに来る子供たちの姿、
そして、その前を通り過ぎるときに感じた気持ちを思い出しました。
私も雄樹と同じように感じたり考えたりしていたのです。
雄樹は、私と似ているなと思いました。何かしてあげたくなる気持ち、よくわかります。

でも、お金をあげるのは簡単だけど、同情するのは簡単だけど、本当にこれでいいのだろうか?

子供たちはさぞかし喜んだでしょうけれど、彼らは本当に文房具を欲しがっていたのかな?
「どうしてこの日本人は僕たちに文房具をくれるんだろう?」って考えた子どもや親や先生がいたかもしれないね。
「僕たちは貧しいの?恵んでくれたの?」ひょっとして彼らの自尊心を傷つけることもあるかもしれない。

ま、ノートの1冊や鉛筆1本程度なら、単なるお土産として、それほどの影響もないと思いますが、
やたら物をあげてしまうのは彼らをスポイル(甘やかしてダメにしてしまう)に繋がってしまう恐れがあります。
その村では、これから日本人を見かけたら「ちょうだい、ちょうだい」とせがむようになるかもしれない。

このことは実はとても深い問題で、国際協力の現場でNGOやボランティアの人たちが「自分たちのしている寄付や援助の活動は本当に正しいのだろうか」とぶち当たる問題です。
実は私は仕事で、このようなことについて考えるきっかけを持ってもらうセミナーや講座を岡山国際交流センターで開いたりしています。
ついこの前の1月に、東京の先生に来てもらって、「援助する前に考えよう」というテーマのワークショップを開いたところで、
雄樹の経験を読んで、ちょうどそのとき扱った題材とそっくりだったので、ちょっとびっくりしました。

たくさんの文房具を買うのにいっぱいお金を使ってしまったようですが、
同じお金を使うのなら、途上国の貧しさを解決するのに、もっと何か他にやり方はないのか、
また帰国してからでもいいから考えてみてくださいね。

雄樹は今、日本では思いもつかないような、とても素晴らしい経験をしていると思います。
いろいろな体験を経て、一回りもふた回りも大きな人間になって帰って来ることと期待しています。
くれぐれも身体には気をつけて、無理をしないでね。



僕も幼い時に、この東南アジアには何年か住んでいました。

その時から、このような物乞いの子達はいました。

母親もこのような現場を幾度となく見てきたはずです。

そして今も仕事を通して、このような世界の問題と向き合っています。

その母親からのメールは僕に、あまりにも大きな影響を与えたのでした。

それからは、毎日考えました。

一人でいると、ありがたいことに物思いに更ける時間が多くあるので、お昼でもどこかに腰をかけ景色を見ながら、夜はベッドの上でよく考えたものです。

自分のとった行動は正しかったのだろうか・・・

僕は物乞いの子達に催促されいてもたってもいられなくて、何度かお金も与えていました。

一つだけ誓えるのは、偽善の気持ちなんて一切なかったこと、それだけはいつどんな時思い返しても、自信を持って誓えました。

ただ、この事に関しては残念ながら答えを見つけることができませんでした・・・

あげる優しさも、突き放す優しさも、優しさには色々な形があり、何が正しいのかは状況や人によっても変わっていき、きっと答えは一つではないんだと思います。

ある日、僕は仲良くなったトゥクトゥクの運転手に通訳をお願いしました。

カンボジアには至る所に遺跡がありそこには、観光客を狙った貧困に苦しむ子供達がいっぱいいます。

その子達に

『将来の夢は何なの?』

と聞くと、小さなある子が言いました。

『僕はお母さんを幸せにしたいんだ。家は貧しいからあんまりご飯食べれないけれど、それでもお母さんはいっつも子供達のためにがんばってくれてるんだ。だから、大人になったらお母さんにいっぱい色んなものを買ってあげたいんだ。』

また、少しだけ大きな男の子は言いました。

『僕は学校に行きたい。でも、お金がなくて行けないから、家を出て働きに行くんだ。一人でも少ないほうが家はお金が助かるから、僕は家族のために出て行くんだ。』

と、まだ中学生になるかならないかぐらいの子が言いました。

僕はその子たちの夢を聞いて涙が止まりませんでした。

そんな僕を見て、子供達は泣かないでと優しく手を差し伸べてくれました。

その小さな手は暖かく、希望に満ちていました。

人にはそれぞれの人生があり、幸せの形もそれぞれ違うのだろうけど、もしも神様がいるなら僕は一つお願いしたいです。

どうか、この子達の未来は明るいものであってください。

普段、神様なんか信じない僕だけど、この時ばかりは強く、強く願っていました。

それはきっと僕にどうしてあげる事もできないから、自分の無力を感じながら神様に祈るしかなかったのです。


この時感じたのは、僕達の我慢ってきっと生活レベルの範囲での、例えばお金ないから今日はご飯はこれでいいや、、、とか、今月も服は買わないでおこう、、、とか。
贅沢をしないってことが、僕達日本人の我慢のレベルなんだけど、向こうの子供達は生きるか死ぬかの瀬戸際での我慢だから、あれを実際目の当たりにした時のカルチャーショックはおそらく一生忘れないだろう。


まだまだ地雷も埋まっている、貧困にも苦しむカンボジア。

貧しいけれど、ここには雄大な自然も、幾年の時を経ても未だに立派に残っている多くの遺跡や、そして暖かい人の笑顔で溢れています。

僕はこの国が大好きです。

きっと、ここにはまた来ることになると思います。


そして、旅は続いていきアジア、ヨーロッパ、南米、北米を周る事ができました。

この旅を通してたくさんの出逢いを経験していきました。

それはもちろん『人』との出逢いでもあり、『大自然』との出逢いでもあり、素晴らしい『建築物』や『遺跡』との出逢いでもあり、時には『トラブル』や『ハプニング』とも出逢ってきました。

そんな色々な出逢いを通して、やはり自分が一番求めていたものは『人』との出逢いでした。

月並みでありふれた表現ですが、これに尽きます。

僕の語学力は非常に乏しく、英語ですら片言、スペイン語になってくると一言伝えるだけで必死、情けない語学力とは劣らず僕の意味不明なボディランゲージやジェスチャーも相当ひどいものだったに違いありません。

そんな言葉が通じない中でも笑顔だけは万国共通でした。

それは日本で僕が思っていた以上に強い力がありました。

未だに忘れられない、たくさんの方の素敵な笑顔が頭の片隅に幾つも残っています。

優しく微笑まれるとこちらも嬉しい気持ちになり、時には言葉なんか通じなくても笑顔さえあればそれだけで分かり合える時もありました。

まるで『魔法の言葉』のようでした。


よく、『自分探しの旅』と言って旅をするのが最近の若い子(僕が言うのもなんですが・・・)の間で多いと思います。

僕もこの旅でそのような旅人を何人も見てきました。

もちろん僕も今回の旅の目的がそうでなかったにしろ、少なからずその要素はゼロではなかったように思います。

では、自分探しとは何なのか、、、

確かに旅をしていたら、自分の新たな一面を発見する時もあります。

他の旅人の方や、自分探しをされてる方を否定する気持ちは全くありませんが、もしこれを『自分探し』と言ってしまうのは僕はなんだか違う気がしました。

僕も『自分探し』って何なのだろう・・・と旅をしながら考えてきたのですが・・・

そもそも、本当の自分なんか探したって見つからないんじゃないか、、、というのが僕が旅をしてきて見出した一つの結論です。

なぜなら、答えはいつも自分の中にあるから。

見つけようとしたって、探したって、考えたって、本当の自分なんてそう簡単に出てくるわけがない。

答えはその時決めようとするものではなく、本当に大切なものは気づかされたり、思い出したりするものなのだから。

僕はそう思いました。

例えば、旅をしている時は楽しくて仕方なかったです。

日本に帰りたくないな、と思った時ですらありました。

だけどもし僕が23年間、休む間もなく引っ切り無しに旅を続けていたら、きっと帰る家があることをすごく羨んだに違いありません。

例えば、大阪に出てきた時もそうです。

実家を離れ、僕は本当の意味で初めて親がいることへのありがたさを気づいたのです。

一人で暮らし始め、身の回りの世話や、毎日ご飯が出てくる幸せもその時僕は気づいたのでした。

このように人は、幸せの中にいると残念なことにそれに心も身体も慣れていき、盲目になってしまうと思うのです。

だから、そういった意味で答えなんて見つけようとしても、考えたって、その時決めるものではないものだと僕は思いました。

常に本当に大事なものは気づかされたり、思い出させられたりするものなのだから。


今回の旅が一人旅で本当によかったです。

もしこれが、誰かと一緒ならこうはならなかっただろうから。

二人でいると苦しみも半分だし、ましてや仲の良い友達となんてどこに行ったって楽しいに決まっているのだから。

一人で苦労して、悩んで、間違えて、失敗して、時には孤独を味わって、遠回りしたぶんだけ気づくことも多いのだから。


旅は人生の縮図

友達と行くとどこでも楽しい

そのとき大事なのは、何処に行くかより誰と行くか

でも一人旅は

何処に行くかより何を感じるか


一人でいると、自分が想像してるよりものすごい変化に敏感になります。

色々な感情が脳裏を行き来します。

それはきっと、非日常な旅がそうさせているのだと思います。

昨日までとは全く違う環境に行き、昨日までとは全く勝手が違うようになったりするのだから、自然と身体がそう感じるようになっているのだと思います。

すごく繊細になるときもあります。

人の優しさやその人の温もりの温度、木々が彩る自然の美しさだとか、風が奏でる優しく静かな音だとか、空の青さだとか、その人達の生活観が漂う街の匂いだとか、時には騒然と縦横無尽に走る車の一台一台の音であったり、排気ガスの煙たさであったり、、、

全てに敏感になり、普段なら見逃すような光景にも目がいったりする。

まるで、小さな子供の時に抱いていた無邪気な気持ちのように。

慌しく、街の景色の変化にすら目を向けられなかった日常の自分とは違い、旅人というゆっくりと穏やかに流れる時間のおかげでそのような些細な変化にも目を向けることができたのです。


人は忘れていく生き物だけど、僕はこの旅で出逢った全ての人達の優しさ、助けてもらったこと、親切にしてくれたこと、一生忘れません。

この記憶はいつまでたっても風化なんかしていかない、ずっと、ずっと心の真ん中で大切にしていきます。

僕はバカだから常にたくさんの人を困らせて、迷惑もかけてきたけれど、それでも見捨てずに多くの方が暖かく接してくれました。

言葉も上手く喋る事はできなかったけど、どこの国に行っても、どんなときでも挨拶とありがとうだけは絶対に現地の言葉で伝えてきました。


ありがとう

ムゴイ

謝謝

コークン・カップ

オークン

カム・オン

Thank you

テシェッキュルエデレム

ケネセム

ダンケ

デェクイ

ヂャクエム

グラッツィエ

メルシー

グラシアス


たくさんのありがとう、いっぱい言ってきました。

本当にたくさんの人達に助けられて、僕のおままごとのような甘っちょろい旅はおかげ様で最高の形で終わることができました。

本当にありがとうございました。


この数年間、この夢だけを追い求め、自分の中の最大の目標としてがんばってきました。

この夢のおかげでどんな逆境にも立ち向かう事ができました。

そしてその夢が今、終わってしまいました。

だからと言って、立ち止まったりなんかしません。


旅の終わりは、また新たな旅の始まりなのだから

夢の終わりも、また新たな夢の始まりなのだから


夢に終わりなんてない。

もう次なる夢に向かって動き出します。

20代は人生の交差点なのだから。

叶えたい夢も、やりたいこともまだまだいっぱいある。

その一つ一つのチャンスを掴むために、今日からまたがんばっていきます。


野本雄樹の座右の銘


若い時に流さなかった汗は、年をとって涙として流れる

一生、雑魚であれ

死ぬまで学ぶ心を忘れない

一生、旅人であれ
死ぬまで出逢いの喜びを忘れない



この旅で自分に足りないものもわかったし、これからも一歩一歩確実に歩み続けていきます。

今回の僕のわがままな旅を、支えてくれた皆様、協力してくれた皆様、応援してくれた皆様、そして自分のことのようにありがたいことにたくさんの方が喜んでくれました。

本当にありがとうございました。

この経験を、少しでも成長した姿を、これからの私生活そして仕事へと活かしていきます。

では、たくさんの方々に、旅先で出逢った多くの方々へ、この場を借りてもう一度。


本当にありがとうございました。


2009.10.03

野本雄樹




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・・・。


長いですねーー(笑)


以上で過去ブログは完結です(*^^)v



旅って、人との出会いだったり、一人での時間だったり、普段の日常生活では体験できない程密度の濃い時間を味わえることができる時があるのが魅力だなって思います。


日本に帰ってきてもう少しで3年が経ちます。


また行きたいなって思っちゃうときは、正直しょっちゅうあります。


でも今は、日本でやりたいことの方が大きいので地に足就けてこれからも大阪の地でがんばってぃきたいと思います(*^^)v


過去ブログを読んで頂きありがとうございました(*^_^*)




GOSSO     野本 雄樹