ライアン・ゴズリングの日本人気も相まってか、
今話題の『ラ・ラ・ランド』。観てきました!
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あ、でももしかしたら、
手放しで大絶賛、それ以外の意見は受け付けぬわ!!!ムカムカ
という方は注意した方が良いかもです…。
ちなみに私個人としては、
どんな作品にも好きも嫌いもあるのは当然だし、
それでいいと思う人ですよカナヘイうさぎ
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舞台はロサンゼルス。
女優を目指し、映画スタジオのカフェで働きながら
オーディションに挑戦する毎日を送るミア。
ある日彼女は、レストランでピアノを弾くセブと出会う。
セブは、古き良きジャズを思う存分演奏できる
自分の店を持ちたいと考えていた。
やがて二人は恋に落ち、互いの活動を応援し合うのだが…。

冒頭の1曲分長回しからのスタート、
「これはミュージカル映画なのだ!」
と高らかに宣言するようで清々しい。
このカメラワークは流石だなぁと観ていました。
でも、私としてはそんな感じ、かな…タラー
あとはチャゼル監督の前作『セッション』(14)で
鬼教師・フレッチャーを演じていたJ・K・シモンズが
可愛かったです。

自分なりの考察や、
それ以上の感想が出てこない理由もあるのですが。
いかんせんネタバレに触れてしまうので…
ネタバレ気にしない!という方か、
観た後に読むことをオススメしますあんぐりうさぎカナヘイびっくり
ごめんなさいアセアセ



↓以下、ネタバレに触れる考察や感想↓


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まず、私はミアとセブ、二人のキャラクターがいまいち
好きにはなれませんでしたショックなうさぎ

ハリウッドの様な大きな場所ではないものの、
自分も少なからず、
ショウビズの世界に関わっているせいかもしれません。

ミアはオーディションを受ける描写はあるものの、
個人での練習をしている描写はほぼ無いんです。
唯一、渋滞中に車の中で
オーディションの課題台詞の練習をするシーンがあります。
でも、あれだけ熱心に練習していたのに、
オーディションの時間を忘れたのか、
ギリギリまでバイトをするつもりだったのか、
(それならなぜ事前に早抜けを申し出ないの?)
アラームで気付き飛び出した結果、
コーヒーをかぶった姿で会場に行くことになったり。
「おっちょこちょいなんですね☆」というよりは
真剣さが足りないように思えてしまうのですよね…ショックなうさぎ

そしてセブ。
彼は彼なりにポリシーも、技術もあるのだと思います。
でも、ゆくゆく加入するバンドのメンバーにも言われますが、
偏屈なんですよね。
「これをやれ」と言われたことを
「夢のために頑張っている仕事」と割り切れず、
自分の好き勝手にやった結果クビになる。
なのになぜか自分にとてつもないプライドと自信を持っていて、
ミアにも(魅力に惹かれたからかもしれませんが)根拠なく
「才能があるから一人舞台をやれ」と言った結果、
あんなことに。

うーん…ストーリーがベタなので、
キャラクターも、
真っ直ぐで努力だけは欠かさない!
みたいなベタなキャラで良かったんじゃないかな?
というのが私の気持ちです大泣きうさぎ

セブがポリシーを曲げた結果、バンドが売れて成功する…
というのはまだ納得できます。
恐らくセブはチャゼル監督を投影したキャラだと思うし…。
でもミアの一人芝居が、
数々の芝居を観てきたであろう劇場スタッフたちに
「大根だ」とこき下ろされていたのに、
突然、それを観ていたキャスティング会社の目に留まりました!
というのもちょっと不思議タラー
(しょせん小劇場のスタッフの意見…ということ?
それとも“舞台の芝居”は下手だけど、
“カメラ前の芝居”に向いてる女優ってこと?)

「それがアメリカンドリームさ!」という気持ちに至るより、
私は1つの闇の考察に行き当たってしまったのですよ…!

“別々の夢を追うためには、一緒には居られない”
この切なさはわかる!
だけどミア、映画プロデューサー?監督?みたいな人と結婚して、
黒いドレスを着て
(カラフルなドレスを着ていた夢に溢れていた時期と違って、
自分の居場所に納得していないことを表現してる?)
結局はそれか…!みたいな気持ちになりませんか?w
別に独身のままでいたっていいはずなのに、なぜ?
この旦那さんが本当に映画プロデューサーとかならば、
“関係者と結婚したことで大女優になった”
という皮肉にも思えるし、
“結局違う男を選んだ”だけならば、
セブと結ばれないための無理矢理なエッセンスに取れるし…
うーんタラー

というのも、デイミアン・チャゼル監督の前作
『セッション』から察するに、
私の中でのチャゼル監督像に、闇を感じているんですw

『セッション』は、教師・フレッチャーと
ドラマーを目指す青年・ニーマンとの激しいやり取りを描いた作品。
「最後の九分間に感動した!」「カッコいい!」
という意見をいっぱい見かけるのですが
(それは勿論それでいいとして)、
チャゼル監督はインタビューで、
自身の経験から作った作品だと答えています。

フレッチャーほどではなかったけど、
自身の先生も怖い先生だったこと
ならば素晴らしい演奏者をつくるため、どこまでやっていいのか?
そのジレンマを描きたかったこと
そこを強調するために怖いフレッチャーを生み出したこと
自分の経験から、今でも悪夢を見ることがある…
その音楽に対する苦悩と恐怖を描いた映画を作りたかったこと
勝利ではあるけれど、ともすればエンディングは
悲劇的かもしれないこと

そんなインタビューを読みました。

フレッチャーは自分に従わない生徒には暴力をふるい、
ドラマーにとって大事なドラムセットをぶん投げます。
そしてラストのシーン。
フレッチャーVSニーマンの戦いではありますが、
コンサートを成功させようと頑張ってきた、
周りのオケメンバーは置いてけぼり。
そこに素晴らしい音楽やショウは生まれるのか?
生徒を自殺に追い込んだ教師が何かを生み出せるのか?
甘やかしていては教えにはならないのはわかりますが、
フレッチャーはもはやサイコパスの領域。
楽しむべきである音楽を意地や根性だけで支えても、
良いものは生まれないと思うのです。

ちなみに邦題は『セッション』ですが、原題は『Whiplash』。
ニーマンたちが練習していた曲の名前でもありますが、
鞭打つ、痛めつけるの意味。
作中でもやっているのはビッグバンドでの練習であり、
セッションではないのですよね…ショックなうさぎ

チャゼル監督は、諦めるなというポジティブな面を伝えたいとともに、
大義名分(本作では音楽という建前ですね)があれば
何をしてもいいのか?
ということも描いている、と答えています。
(インタビュー引用元→https://joshi-spa.jp/239998?display=b)

『セッション』は、“そこを考えてほしい作品”。
手放しに「熱くてカッコいい!」とだけ言い切るのは、
チャゼル監督の意図とは違う気がするのです。

じゃあもしかしたら手放しに大絶賛されている
『ラ・ラ・ランド』にも、何かしらの意図があるんじゃ!?
とか考察してしまいたくなるんですてへぺろうさぎwww
というくらいには、私にとって、
ミアとセブにツッコミポイントがあったので…。

でもチャゼル監督が、古き良きミュージカルを現代に蘇らせた!
(実際オマージュと言われるシーンも多数)
というのは素晴らしいと思いますカナヘイきらきら
きっとミュージカル映画がお好きな方からしたら、
また違った感想や考察もたくさん出てくるんだろうなーカナヘイきらきら

とにもかくにも、『セッション』同様、
色々と考えさせられた作品でした!

ノリノリのJ・K・シモンズ、可愛かった!!カナヘイハート