「台湾で影山ヒロノブさんがドラゴンボールの歌を歌って、
ちゃ~ら~ ってところになると、
2万8千人だかでみんな一斉に大爆笑するんだって!」

∑(=゚ω゚=;) !?
今日の伊織ママの珍名言でした。

こんばんは、伊織です(*・ω・)ノ
「あっ、違うよ、大合唱だよ~!
大爆笑なんかされたら帰っちゃうよね」
だって。
うん、そうだね、帰りたくもなるよwww
伊織ママは天然(?)ですw


ぜ、ぜぜぜ前回の記事で、みんなが読書感想文に食いついてくれて…
うれしい反面、
「本当に載せちゃうの!?載せていいの!?」って気分です
ま・まぁ夏だしね!肝試しだよね!w

あ・でも出てきたの、中学2年生の時のと3年生の時のじゃなく、
3年生のと高校1年生のでしたゴメンネ

うぅ、何となしに言ったものの、読み返してみると、
書き方とか筋道立てとかがごちゃごちゃです
中学生の書いたものだし、ってことで、ご容赦下さいね(笑)

まずはひとつめ、中学3年生の時のを…。
ちゃ、ちゃんと読んでコメントくれなきゃ…

……

恥ずかしくてお布団の中から出られなくなりますw

(´ノ・ω・`)ノ・‥…━━━★゚+.・‥…━━━★゚+.・‥…━━━★゚+

「坊ちゃんを読んで」

良く言えば一本気、他人が見れば無鉄砲。
なんだ、坊ちゃんって私のことじゃないか、
それがこの本を読み始めた時思ったことだった。

数学教師として四国に赴任した坊ちゃんは、
偽善的な教頭・赤シャツの理不尽さに激怒した。
赤シャツは、英語教師・うらなり君の婚約者を奪ったり、
坊ちゃんの飲食店への出入りを注意しておきながら
遊郭通いをしたりするので、
とうとう坊ちゃんの正義は爆発することとなる。

坊ちゃんは数学主任の山嵐を味方につけ、
赤シャツが遊郭へ入った現場をおさえ懲らしめることに成功、
満足そうに街鉄の技手へと転職した。

そんな坊ちゃんと私のどこに共通点があるかというと、
話は小学生時代までさかのぼる。

小学一年生の頃の私は、女の子の友達が一人もいず、
先生が心配するほどだった。
毎日男の子の友達と塀の上を走りまわって、けんかして・・・・。
その様子は、垣根でとっくみあいをしている坊ちゃんの姿に
似ている気がする。
夏は生傷が絶えない、そんな私の遊びは、小学五年生まで続いた。

そして、ある程度成長すると、『曲がったことが大嫌い』な
坊ちゃん型の私がいたのだ。

だからページをめくる度、いちいち坊ちゃんの考えに賛同して、
一人でうなずいたりしていた。
しかし最後のページをめくり終わって頭に浮かんだのは、
「正義って何?」という不発の疑問形だった。

確かに、赤シャツのやり方は、嫌味で陰険で読んでいて腹立たしかった。
が、正義を盾に、卵をぶつけてもいいのか坊ちゃん?
私としては大いに構わないが(むしろ賛成だ!)第三者が見れば、
ただの暴力にとらえられてしまう可能性だってある。

私はそこに重点を置いて考えてみた。

正義・・・『道理にかなっていて正しいこと』。
道理にかなっている、つまりは世間が正しいと認めたこと、
それが正義だと辞書には書いてあった。

単純に言えば、正義というものは他人が決めるものであり、
悪と紙一重であやふやなものだ、という結論に辿りつくというわけだ。

けれどそれは、あまりに淡白すぎる意見なので私の性には合わない。
私は第二の意見を出してみた。

正義というものは、とらえ方一つで形を変える、あやふやなものだけど、
自分が正しいと信じ、他人に納得させる力があれば、
それはきっと正義だ・・・・と思う。

自信は半分だけど、自分が今までそれを貫き通してきて、
人に『正義感が強い』と言われてきたから、
あえて私は後者の意見を支持する。

私はこの本に出会って、いくらか『考える』ということに慣れた気がする。
正義を否定したままにするということは、
正義感が強い私まで否定することになりそうだったから、
必死で考えたからだ。

正義というものは、もっと奥まであって、
こんな短時間じゃ全てを悟るのは不可能だろう。
だけど今回、正義のすき間を、ちょっとだけのぞけた気がする。
それに、こんなぎこちない解釈でも、
坊ちゃん気質の私を応援していく糧になるはず。

ありがとう、坊ちゃん。