連休中は、沿岸に物資を届けて回りました。


5月3日は陸前高田市へ。


私は地震後はじめて行きましたが、被災地が広大で、見渡す限り何も無い状態です。


キャピタルホテル1000に、去年10月、法人会の気仙大会で訪れたばかりでした。

気仙沼出身の生島ヒロシさんの講演を聞いて


三陸の海の幸をたくさんいただき


売店でさしみワカメを買いました。



その時見た光景は、もうどこにも残っていません。


どこまでも焼け野原のように何も無い。


一緒に行った友人は、息子のスポ少野球の試合や合宿でよく訪れたと。



変わり果てた街の姿に絶句していました。



広田町に行くのに、ナビを頼りにしましたが

なぜか碁石海岸から、大船渡に回され、結果、広田半島をぐるりと一周することに。


どうも、通れない道があったようで、それをナビが回避したようなんですが…。

かなり時間を費やし、ようやく目的地にたどり着くことが出来ました。


半島を回ってみてわかったけれど、ここもひどい被害を受けてます。


なかなか報道はされないけれど。


市街地ではたくさんいるボランティアも、ここでは少なく感じました。


陸前高田市は、水道の復旧は見通したたず。
塩害だそうです。


自宅避難してる人は、水を確保するのが一苦労でしょう。



私が訪ねたお宅では、井戸水を汲んで生活用水にしてましたが、飲み水にはならないと。



お水、調味料、シャンプー、下着、衣類、などをお届けしました。


本当は欲しいものを選んでもらい、不用なものは持ち帰ろうと思っていましたが
道に迷ったため到着がかなり遅れてしまい

周囲のかたに配ってくれると言うので、お言葉に甘えて全部の荷物を置いてきました。


車無いのにごめんね。。





それにしても、陸前高田の水問題は深刻だと思います。


確かに、ガス、電気も無いと大変だと思いますが、お水だけは、何かで代用することが出来ない。



無くなれば死活問題ですから。。


いつまで我慢するのか、先も見えない状態。


行政でもいい、個人でもいい、どうか手厚い支援をお願いします。。



娘は去年3月結婚しました。


披露宴は今年の10月の予定でしたが、キャンセルになりました。



旦那さまは、自衛官。


彼は去年、厳しい、厳しい、訓練を無事にやり遂げ、レンジャー部隊に入りました。


あの地震の日、駐屯地から直接被災地へ。


それから2回ほど、自宅に戻ったと聞いてます。


3度目に仕事に行くとき、「しばらく戻れない。」と言ったそう。


今までどこに行ってるか、具体的に言わなかった彼。

今、福島の原発20キロ圏内で仕事をしています。



頼りなかった娘も、今はしっかり自衛官の妻の顔。


動揺を表に出しませんでした。



義母として、人として、私は彼を誇りに思います。



娘は大丈夫だから、思う存分、仕事をしてきてください。



母より。


4月3日から、約一月ぶりの大槌。

たくさんのボランティア、瓦礫撤去する自衛隊。。


でも


まだまだ長い時間がかかる。

そう感じました。



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カメラを向けることがどうなのか。。


いいのか悪いのか


わかりません


でも忘れないために。


自分が振り返るために。


数枚だけ撮ってきました。



今日は物資を届けてきました。

食品、調味料、肌着、お酒、ジュースなど、県の物資や、有志から預かった物資。


必要な物だけ取ってくださいと話して、リストを見てもらい選んでもらいました。


自宅避難しているお宅です。


一軒に一番多い時で13人いたと。

台所にも寝ていたり。


自宅避難者にはなかなか灯油ももらえない。


最近は食品の配給も減った。


人目が気になって避難所に物資をもらいに行けない。

避難所では、仮設住宅に入る時のために、物資が来ても貯めている。


など、色々な話しをしてくださいました。


初めて会ったかたに、感謝の言葉をもらい、本音を話してもらえる


心からありがとうと言ってくれる。


また、来ます。


気の利いた言葉なんて何ひとつ言えなかった自分です。