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未知なる心へ

統一教会入信から脱会までの日々と、脱会後の魂の彷徨。

わたしが学生時代の話である。平成2年頃、大学二年生の秋に、原理研究会(統一教会の学生組織)に勧誘され通いはじめて、2日間と6日間のセミナーに参加した。それから入寮しての共同生活を勧められ、最初は抵抗していたものの、やがて入寮を決意した。そんな信仰初期のころ、W兄(統一教会では、男性のことを~兄[けい]と呼ぶ)という兄弟(仲間のことを兄弟姉妹と呼ぶ)と出会った。

 

 

わたしがいたのは孝成学舎といって、中京大学と名城大学の学生がほとんどであった。寮は八事霊園の近くにあり、ビデオセンター(伝道の拠点)は八事駅から少し離れたところにあった。しかし、W兄は珍しく南山大学の学生だった。南山大学は八事から離れているので、彼がどのような経緯で伝道されたのかは知らない。しかし縁あって、孝成学舎に通うようになったのだろう。

 

 

W兄は一見、いかつい風貌で近寄りがたかった。だが、付き合いが深まるにつれて、だんだん彼の良いところが見えるようになった。見かけによらずひょうきんで、ユーモアのセンスがあった。一方で、熱烈に祈る信仰深い一面もあり、わたしは彼を先輩として慕うようになっていった。

 

 

W兄は下宿生ではなく、隣市に住んでいたので、最初は寮に入らず通いで活動していた。だがある時、一念発起して入寮したのである。だが、ここが原研の学舎であるということが、W兄の両親にばれてしまい、一度、両親が押し掛けてきたことがあった。W兄のことを連れ戻そうと思ったのだろう。

 

 

だが、すでに洗脳されかけていたW兄は、両親の言葉に耳を貸さず、逆に「サタン」呼ばわりした。それで両親もあきらめて帰ったのだが、それからしばらくして、W兄は用事があり一時帰宅した。皆、先日のいきさつもあり心配していたのだが、その心配は見事に的中。W兄は二度と、孝成学舎に戻ってくることはなかった。

 

 

「おそらく、反対牧師に監禁されたのだろう」と、みな言っていた。いわゆる「保護説得」というやつである。真相はわからないが、W兄もおそらく、牧師による保護説得を受けたのであろう。わたしも今は脱会しているが、当時はまだ純粋に信仰していたので、W兄の離脱にはショックを受けた。

 

 

その後もわたしは信仰を続けたが、数年後、平成7年に脱会した。そして早、30年の月日が経った。この期間、同じように脱会した何人かの友人とは連絡を取り合っていたが、ふとしたことから、W兄の消息を知ることとなったのである。

 

 

詳細は控えるが、ある雑誌の中でW兄らしき人が寄稿した記事を目にしたのである。「もしや」と思ったわたしは、その名前をネットで検索してみた。すると案の定、W兄であった。SNSに写真まであったので、間違いはなかった。

 

 

わたしは懐かしさがこみあげてきて、彼にぜひ会いたいと思った。あるHPには、彼のものと思われる電話番号も載っていたので、そこに電話することも考えた。しかし、30年も昔のことである。彼と一緒に活動した期間も、せいぜい三か月ほど。彼がわたしのことを憶えているかどうか、確信がなかった。

 

 

それで、とりあえずメールを送ったのである。しかし、一週間たっても返信はない。

 

 

正直、こういうことは、結構多い。要は、わたしに人望がない、人間的魅力がないということなのだろうが、こっちが相手を慕うほどには、相手はわたしのことを思っていない……ということが、非常に多い。

 

 

つまり、ふられることが多いということだ(涙)。

 

 

人と人との関係って、ほんと難しいと思う。こっちが良かれと思って言ったことを悪意にとられることもあるし、その逆もしかりだ。相思相愛、意思の疎通がピッタリ合うような人と出会えることなんて、長い人生の中でもそうそうあるものじゃない。

 

 

そういった意味では、中・高・大学生の青春時代に、もっと多くの人と付き合い、親交を深めておけばよかったと思う。しかし、あの頃の自分は不器用だったし、臆病だった。精神的に幼かった(今も?)。それでも、当時の自分は自分なりに精一杯生きていたのだ。それをいまさら悔やんだところでどうなるものでもない。

 

 

W兄のことは残念だが、仕方ない。もしかしたら、メールの文面が、彼を不快にさせたのかもしれない。しかし、これもまた運命である。

 

 

それでもこりずに、どこかでまた新しい(懐かしい)出会いがあることを、願ってやまない。