風俗の話⑤ | 未知なる心へ

未知なる心へ

統一教会入信から脱会までの日々と、脱会後の魂の彷徨。

ソープランドでむなしく童貞を失い、「セックスなんて、こんなものか」と嘆いたわたしだったが、かといって性欲が消えるわけもなく、その後も二回、風俗に行った。ソープランドは金銭的にきつかったので、二回ともヘルスである。

 

 

一回目はソープに行った約半年後の1990年7月で、初めて行った店とは違う店だった。友人と栄の風俗街を歩いていて、客引きに声をかけられたのである。

 

 

その店は少し値段が高く、9千円とられた。わたしが当たったのは、ショートカットで特別美人ではないが、愛嬌があって感じの良いお姉さんだった。齢はわたしとそんなに離れていないような感じだったから、若い子だったと思う。

 

 

しかしそのヘルスは建屋が古くて、シャワーが他室と共用だった。なのでシャワーを浴びたら、腰にタオルを巻いて移動しなければならない。「こりゃ失敗したかな?」とちょっと思ったが、相手のお姉さんは裸になるとスタイルが良く、美乳だった。

 

 

わたしは横になって攻められながらも、とにかくおっぱいに手を伸ばして揉みまくった。本当はしゃぶりつきたかったのだが、小心なので自分から攻める勇気がない。ただ、なされるがままになっていた。

 

 

やがてコンドームを付けて、フェラ〇オが始まったが、またいつもの悪いクセが出た。最初は気持ちいいのだが、すぐ刺激に慣れて、萎えてしまうのである。「また、イケないのでは」という不安が頭をよぎった。案の定、フェラでは行けずに、手コキでなんとか射精した。しかし、今回も無理やり出したという感じで、爽快感はなかった。

 

 

そして二回目はその二か月後、初めて行ったのと同じ、30分6千円の店に行った。結局、前のお姉さんは指名せずにフリーで入ったのだが、この時に当たった「ランちゃん」というお姉さんが、最高の風俗嬢だった!

 

 

まず、何より愛想がいい。そしてシャワーの時には、自分からおっぱいを触らせてくれた。そしてベッドに移ってからは、ついに夢のおっぱい舐め! それからなんと初シックスナイン! ついに女性のオ〇ンコの味を知ったのである。

 

 

なんせ初めてなので、クリ〇リスの正確な位置がわからない。それでもせっせと舌を這わせていたら、ランちゃんのアソコがじわっと濡れてきたのがわかった。「あ、これが愛液か!」と、ちょっと感動した。

 

 

しかし、こんな最高のサービスを受けながらも、やはりゴムフェラではイケず、結局最後は手コキでフィニッシュ。それでも、ランちゃんはこれまでで一番の風俗嬢だった。わたしは大満足で店を出て、一緒に行った友人にこのことを伝えた。

 

 

後日、その友人から「ランちゃんを指名に行った」と聞かされた。やはり、最高だったとほめていた。しかし、わたしはそれ以降、風俗へ行くことはなかった。最後のヘルスから約一週間後に、原理研究会(統一教会)の2DAYSというセミナーに行き、そこから統一教会の深みへとはまっていったからである。

 

 

「真の愛」を謳い、教祖の決めた相手しか愛してはならない統一教会では、風俗などはサタンの極みである。風俗どころか、AV、エロ本、オナニーすべて禁止なのだ。性的なものはすべてサタン視されていて、目にすることすら罪とされていた。(「そんな目はくり抜いてしまえ!」という過激な教えもあるくらいだ)

 

 

それでも、若い大学生に性欲を完全に断て!というのは無理な話である。わたしはどうしても我慢できない時には、トイレの個室でオナニーをしたが、射精した後にはものすごい罪悪感に襲われた。

 

 

本当に真面目な信者は、オナニーしてしまった後にはそのことをアベル(上司のこと)に報告していたらしいが、わたしは報告しなかった。というか、できなかった。報告したところで、この性癖を完全に断ち切ることなど無理だ、と思っていたからである。

 

 

というわけで、わたしは統一教会に在籍した五年ほどの間も、断続的にオナニーを繰り返していた。とにかく、祝福(合同結婚式のこと)を受けて家庭を持てば、晴れて堂々とセックスすることができるのだ。それまではなんとか、こうやって凌いでいくしかないと思っていた。

 

 

しかしわたしは結局、祝福は受けずに、いまの妻と普通の結婚をした。だが、統一教会時代に刷り込まれた、性欲をサタン視する思いは心のどこかに残っていた。なので結婚以来、一度も風俗に行ったことはなかった。風俗どころか、キャバクラにさえ行くことはなかった。まあ、酒が飲めないから当然ではあるのだが。

 

 

(つづく)