ここまで、職場の同僚で20代半ばのYさんへの思いを書いてきた。しかし、これは恋と呼べるのだろうか? そもそも、恋とは何ぞや?
恋が、男女を惹きつけ、子孫繁殖させることを目的とした、本能からくる衝動だとすれば、わたしのYさんへの思いは、そこには当てはまらないのではないか?
実際、LINEを聞くまでは緊張、ハラハラドキドキしたものだったが、いざLINEの交換が済んでしまえば、気持ちは落ち着き、平常心を取り戻した。
翌朝も日報を渡しに行くときにYさんと会ったのだが、まあ、普通どおり。特に緊張することも、胸がときめくこともなかった。もっともそれは、LINEを交換できたという安心感から来ていたのだろうが。
それから二日間、わたしは他の現場で勤務した。そして昨日、Yさんの最後の勤務が終わった。わたしは夜勤中だったが、Yさんに「お疲れさま」のLINEを送ろうと思った。しかし、Yさんも最終日の勤務を終えて疲れているだろうと考え、思いとどまった。どうせ、明日以降、休職に入るYさんはフリーなのだ。
ということで、今日(10日)の午前中に一通目のLINEを送った。だが、なかなか既読がつかない。休職に入って最初の土曜だし、友達と遊びに行っているのかもしれない。いや、彼氏とデートか?
そんなことを考えていると、気持ちがだんだん冷めてきた。「別にどうだっていいや」という思いになってくるのだ。しかし、これは心の自己防衛機能が働いているのだと思う。
つまり、LINEの返事を期待しすぎると、既読がつかなかったり、返信が来ないことが辛くなる。その辛さを緩和するために、心があえて「別に気にしねぇ」と強がろうとしているのだ。
そうこうしているうちに、LINEが鳴った。二時間ほど経っていたが、返信の中身は長文のLINEが三通。一言だけとか、スタンプだけとか、そっけなかったら悲しいな……と思っていたので、長文の返信は嬉しかった。
こうして、嬉しいことがあると、心にパッと花が咲くように、恋心もよみがえる。それで、こちらも再度、返信をした。しかし、これは挨拶のようなもので、別に返信を期待したものではない。
だけど、これにもなかなか既読がつかないのだ。ということは、Yさんは何らかの活動に従事している可能性が高い。家にいて暇だったら、LINEに着信があれば目ぐらいは通すだろう。しかし、それがないということは、やはり彼氏とのデートか? そんな思いが頭をよぎると、再度、心は暗い影に覆われる(笑)
そしてまた「別にどうだっていいや」という思いになってくる。彼女の人生は彼女のもの。なんせまだ20代半ばなのだ。そこにくそオジンの自分が、どうやって介入するというのだ?
そんな自虐的な言葉が頭の中で鳴り響く。そう、おれに恋する資格などないのだ。53歳のくそオジンは、家で大人しくカミさんの味噌汁でもすすってやがれ、なんて、再び心の自己防衛機能が働く。
いや、しかし、この心の「揺れ」こそが恋の醍醐味なのだ。心がドキドキ、ハラハラするからこそ、生きている実感が得られるともいえる。平穏な日々は、平穏であるがゆえに退屈でもある。だからこそ、広末涼子も危険を冒してまで不倫の恋に走ったのだ。
「おれは、おれの道を行け、命ある限り」
かっこつけた言葉ではない。真実だ。結局、人間はそうやって生きていくしかないのだ。あっちにぶつかり、こっちにぶつかり、赤っ恥をかきながら、這いつくばるように、生きていくものなのだ。
