「暇つぶし道」(ひまつぶしどう) | 未知なる心へ

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統一教会入信から脱会までの日々と、脱会後の魂の彷徨。

最近よく思うのが、人生とは結局、生まれてから死ぬまでの間の「暇つぶし」だということだ。

 

 

もちろん、暇つぶしと一言にいっても、その内容は千差万別である。趣味に打ち込むのも、ただボーっとテレビを見るのも、家族や友人と雑談に興じるのも、すべて、広い意味での「暇つぶし」である。

 

 

となると、人間の活動はすべて「暇つぶし」なのかといえば、そうではない。たとえば仕事は、生活の糧を得るための活動だから、暇つぶしとは違う。食事を摂るのも、生命を維持するための活動だから、暇つぶしとは言わないだろう。

 

 

ひま‐つぶし【暇潰し】 

の解説

  1.  ひまな時間を過ごす手段。「―に将棋をさす」

  1.  時間をむだに過ごすこと。「とんだ―をしてしまった」

 

 

暇潰し(ひまつぶし)とは、時間的余裕が生じた際などに、本来要求されていない行為・作業などを実施することによって時間を消費する代替行為の一つ[1]

 
 
 
ネットで調べると、「暇つぶし」は、上記のように定義されている。しかし、わたしの考える「暇つぶし」の意味合いは、もっと広範囲である。
 
 
分かりやすくするために、「暇つぶし」ではない活動を、以下に列記してみる。
 
・仕事(働いて報酬を得ること)→だが、働かなくても生活に困らないのに働く場合は、暇つぶしとなる。
・食事、排泄、入浴、洗顔、歯磨きなどの日常生活動作。
・子供の世話や親の介護など、誰かがやらなければならないこと。
・学校に通うこと、勉強すること。
 
大まかではあるが、以上の行動は、「暇つぶしではない」と言えるだろう。
 
 
だが、それ以外の行動はすべて「暇つぶし」である。代表的なものを挙げると、
 
・旅行
・テレビや映画を見ること。
・スポーツ観戦、スポーツをやること。
・ありとあらゆる趣味と呼ばれる活動。
・読書、音楽鑑賞。
・ショッピング(食料品以外)
・ペットを飼うこと
・雑談
・飲酒や喫煙
・ブログを書くこと
・瞑想、座禅 etc
 
 
つまり、すべての娯楽や趣味、自己啓発と呼ばれる活動だ。だが、勘違いしてほしくないのだが、わたしは「暇つぶし」が悪いとは言っていない。人間の活動の大部分は「暇つぶし」であるという、事実を語っているのだ。
 
 
だから、「暇つぶし」の中にも、様々な態様が存在する。役に立つ暇つぶしや、役に立たない暇つぶし。健康に良い暇つぶしと、健康に悪い暇つぶし。他人を喜ばせる暇つぶしと、他人を不快にさせる暇つぶし。暇つぶしには無限のバリエーションが存在するのだ。
 
 
しかし、どんな暇つぶしでも、暇つぶしは暇つぶしであり、そこに優劣は存在しないというのが、わたしの提唱する「暇つぶし道(どう)」の生き方である。