誤解の人生 | 未知なる心へ

未知なる心へ

統一教会入信から脱会までの日々と、脱会後の魂の彷徨。

最近、仕事をめぐる状況はめまぐるしく変わっている。といっても、わたしの内面の話だが。

 

 

三日前には「辞めてやる!」とまで思った職場だったが、そんなネガティブ感情は昨日の勤務中に吹き飛んでしまった。

 

 

しかし、思うのは、ネガティブな感情に覆われた状態で、重大な(特に否定的な)判断はするべきでない、ということだ。

 

 

わたしは三日前、あまりにも頭にきて、会社にクレームを入れようとさえ思ったのだが、それは完全に、自分の行きすぎた判断だったと思っている。

 

 

上司が自分に名簿を渡したのも、決してプレッシャーを与えるためなどではなく、単純に仕事上でプラスになると思ったから、そうしてくれただけだ。

 

 

それなのに会社に怒鳴りこんだりしたら「この男はいったい何を考えているんだ」と思われただろう。

 

 

しかし、わたしのいままでの人生、あまりにもそういった誤解・・・誤った理解が多かったと思う。

 

 

というか、わたしが今までの人生で下して来た決断が仮に100あったとすれば、そのうちの70位は誤った理解に基づいた決断だったのではないかとまで思う。

 

 

怒らなくて良い時に怒り、落ち込まないで良い時に落ち込み・・・。多くの人間関係を、自ら破壊してきたと思う。

 

 

今日もこんな出来事があった。わたしはジムに通っているのだが、そこでよく遭うGさんという男性がいる。わたしはジムに通い出してから丸二年になるのだが、このGさんのことは何となく苦手であった。

 

 

身体も大きく、毎回かなり激しいトレーニングを行うから、そこに威圧感を感じていた。それに無口で、何となく近寄りがたい、拒絶的な雰囲気があった。それで、二年たっても、挨拶以外の言葉を交わしたことはなかったのである。

 

 

だが、今日たまたまジムの入口で出くわしたのだが、その時の態度が、非常に和やかで感じが良かったのである。

 

 

わたしびっくりした。今まで自分がGさんに対して抱いていた印象は結局、自分が勝手に造り上げた虚像だったと知ったのである。

 

 

そう、拒絶的だったのはGさんではなく、自分の方だったのだ。

 

 

こんなことが、わたしの人生では非常に多い。自分が相手に対して抱くイメージと、相手の実像との間に、大きなかい離がみられることが多々あるのだ。

 

 

それだけ、他人の本質を理解、把握することは難しいのだと思う。

 

 

ああ、もっと簡単に人の心が分かればなァ・・・と思うが、これもまた人生。

 

 

だが、いつも言うことだが、こんな状態のままで人生を終えたくはないと思う。もっと人生の、人間の本質に触れる生き方がしたい。

 

 

七転び八起き。何度転んでも立ち上がっていけば、少しづつでも道は開けていくだろう。

 

 

 

 

 

 

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