愛と性欲~男という哀しき生き物 | 未知なる心へ

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統一教会入信から脱会までの日々と、脱会後の魂の彷徨。

夏目漱石の小説 「こころ」 の中に、次のような一節がある。この小説には 「私」 と 「先生」 という、二人の主な登場人物があるのだが、ここは 「先生」 が 「私」 への手紙の中で、ある女性への想いを述べる部分である。

「それ程女を見くびっていた私が、またどうしても御嬢さんを見くびる事が出来なかったのです~私はその人に対して、殆ど信仰に近い愛を有っていたのです。私が宗教だけに用いるこの言葉を、若い女に応用するのを見て、貴方は変に思うかも知れませんが、私は今でも固く信じているのです。本当の愛は宗教心とそう違ったものではないという事を固く信じているのです。私は御嬢さんの事を考えると、気高い気分がすぐ自分に乗り移って来るように思いました。もし愛という不可思議なものに両端があって、その高い端には神聖な感じが働いて、低い端には性欲が働いているとすれば、私の愛はたしかにその高い極点を捕まえたものです。私はもとより人間として肉を離れる事の出来ない身体でした。けれども御嬢さんを見る私の眼や、御嬢さんを考える私の心は、全く肉の臭いを帯びていませんでした」(新潮文庫版より)

私はこの小説を、大学生の頃にも読んだが、当時はそれ程の感銘は受けなかった。それに、なんといっても夏目漱石は、紙幣になったほどの超メジャーな存在である。だから、世間の風潮にあえて目を背けたくなるあまのじゃくの私は、その後も、ほとんど漱石の作品を読むことはなかった。

それが先日、この 「こころ」 を再読した時には、昔とはまったく違った衝撃を受けた。私はこの齢になってやっと、国民的作家漱石の偉大さを理解したのである。

何はともあれ、この場面。この気持が私には本当によく分かった。思春期の男性なら誰でも、こんな気持を一度や二度は感じたことがあるのではないだろうか。

私がこういう思いを感じたのは、中学生の頃だった。もう、中学生ともなれば、男性の性欲はかなり盛んであるから、好きな異性に対して性欲を抱いたとしても、べつに不思議はない。

だが、中学生というのは、ちょうど子供と大人の中間点の、いうなれば 「さなぎ」 的な期間である。性への興味や関心は急速に高まるものの、まだ実体験はないのが普通だ。それ故に、まったく未知であるのに、信じられない程の誘引性を持つ「性」というものに対しては、興味の反面、どこか底知れぬ、ドロドロとした恐怖に近いものも感じたものだ。

性というものが 「秘め事」 とも呼ばれるように、決して表に出してはならない、人間の負の側面の象徴のようにも思えた。

それ故に、自分の好きな女性に対して性的なイメージを持つことは、そういったドロドロとしたもので、神聖なものを汚してしまうようにも感じられた。だから、憧れの女性に対しては、その裸を想像することさえもが、その女性への冒涜に思えた。どこまでもプラトニックな思いを貫くことこそが、清く尊いものだという感覚が、その頃には確かにあったのである。

だが高校、大学と年齢を重ねて身体が成熟し、AVなどで(実体験には乏しいにせよ)性的な知識も豊富になってくると、かつて持っていたような性への畏れのようなものは、だんだんと薄れてく。それと同時に、憧れの女性と「性」との間にあった壁のようなものも、徐々に取り払われていく・・・。女性を好きになれば、その女性に触れたくなるのが当然だという(通常の?)感覚に戻っていくのだ。

だが、そうは言っても、この 「こころ」 の中で漱石が説いたように、「愛」と「性欲」というものは、ルーツを同じくする兄弟のようなものであったとしても、全く相反する性質があるのも事実だと思う。それ故に女性は、自分の人格よりも肉体に興味を持たれることに対して、本能的な嫌悪感を感じるのだろう。

しかし、こうまで書いておきながらも、やはり、心のどこかで  「おい、キレイごとを言うな!」 と囁く声が聞こえる。

「お前は、自分の多情を正当化するために、こんな文を書いているのだ。己のいやらしさを、情欲を、浮気をしたいという願望を、なにか清らかな言葉で覆い隠して、『僕はそんな、いやらしい男とは違います。体目当てで女性に近づく男と一緒にしないでください』 と、主張するために、こんなことを書いているのだろう? どうだ、図星だろ?」

そう、図星である。いつだって私の中には、そんな思いがある。おれはスケベじゃない。おれの気持は、そこらへんのエロいおやじ達とくれべりゃ、はるかに高尚な、尊い「愛」だ。幸せを分かち合う気持だ。だから女性の皆さん、安心してください。安心して、私に近づいてください。そう、もっともっと。それじゃ手が届かないから、もうちょっとだけ、こっちへ・・・。

結局、世の多くの男が考えていることなんて、こんなものじゃないだろうか。だから、女性の皆さん。スケベで哀れな男性を、蔑むような目で見るのはやめて下さい。男というものは、こういう生き物なのです。白馬に乗った王子など、どこにも存在しません。そんなものは、望むだけムダですよ・・・いや、自分で言うのもおこがましいのですが、私ならば、王子とまでは行きませんけれども、そう、容姿は問題じゃないでしょう? 男はなんてったって、心が大切ですから。だから、見た目は王子って感じとはほど遠いですが、心は、心だけは(実は、股間も)温かいつもりです。私は。だから、遠慮せずに、どうぞこちらへいらしてください。そう、安心して。私はそこらのくだらない男とは、まったく違うんですからね・・・。(と、こんな感じの永遠のリフレイン。男というのは、かくも悲しい生き物か)

合掌