母(5) | 未知なる心へ

未知なる心へ

統一教会入信から脱会までの日々と、脱会後の魂の彷徨。

統一教会では、最初にビデオセンターという偽装サークルに通わせる段階から、「ここのことは誰にも話さないように」 と口止めをする(サタン=邪魔が入るから)。もちろん、入信してからも、しばらくは親に隠すのが基本である。

だから私も、入信したことはずっと両親に隠していた。統一教会の寮に転居したときも、適当な言い訳をしてごまかした。前にも書いたように、私の両親はどちらかというと放任主義だったから、別にうるさく詮索してくることもなく、特に大きな問題は起こらなかった。

ただ、親に秘密にしているとは言っても、大学卒業後に献身(統一教会の専従員になること)したり、祝福(合同結婚式)を受ける際には、親に信仰のことを明かさなければならないとされていた。だから、その時の印象を少しでも良くするために、普段から親に手紙を書くことなどは推奨されていた。(これは将来的に、親も伝道するのが目的だからである)

私は二年生の秋に伝道されて、卒業までずっと物売りなどの活動をしていたのだが、もともと親とは、たまにしか連絡を取っていなかったので、生活の変化を怪しまれることはなかった。

だが、帰省の日数が激減(4日程度しか認められなかった)したのと、実家にいる間、やたらと食べまくり、買い物しまくり、それ以外はずっと爆睡していたので、後で聞いたら、やっぱりどこか変だとは感じていたようである。(私がいた原理研究会では、普段は一円も自由には使えない。だから必要なものは、帰省した時にまとめて買っていた)

それでも自分では、私と母との関係は良好だと、信じて疑わなかった。だから、統一教会に入ったことを明かしても、母はきっと、自分の選択に理解を示してくれるだろう・・・という楽観的な思いが、多少はあった。

そして、大学の卒業を目前に控えて、私もついに統一教会のことを、親に明かす時がやってきた。アベル(上司)と色々相談した結果、まずは手紙で明かすことにした。私は今までの人生で、色々と悩んできたことを述べた上で、その答えをここで見つけた・・・というようなことを、かなり長い文章に綴った。

その手紙は、それなりに良く書けたと自分では思っていた。だから、両親がこの手紙から、おれの思いを少しでも感じ取ってくれたなら、統一教会のことは反対したとしても、そこに至るまでのおれの苦悩は、多少なりとも理解してくれるだろう・・・と考えていた。

そして、「お前がそんなに悩んだ末に辿り着いた道ならば、世間で悪く言われている統一教会も、本当は、そんなに悪い所ではないのかもしれない・・・」 と、両親は戸惑いつつも、最低限の理解は示してくれるのではないか? という、希望的な観測を持っていた。

だが、そんな私の考えは甘かった。大甘すぎた。世間の統一教会に注がれる視線は、そんな生易しいものではなかったのである。私の手紙を読んだ父は激怒し、帰省した私が対面すると、「そんな宗教に入れるために大学にやったわけじゃない。もう大学を辞めろ!」 とまで、頭ごなしに言ってきたのだ。

もう、話し合いの余地などまったくなかった。私は、あまりにも一方的な父の言い方に愕然とした。(ちなみに、父は共産党の熱心な支持者だった) 私の気持ちや悩んできた時間などは、父にとっては何の意味も、重みも無いようだった。私の言葉はそんな閉ざされた父を前にしては、まったく何の力も持たなかった。

なす術のない私は、唇を噛んでうつむいた。そうしながらも心の片隅では、母の助け舟を微かに期待していた。「まあ、お父さん、〇〇の言い分も少しは聞いてあげて・・・」 と言ってくれることを。だが母は、激高する父の横で、何も言わずにただ黙っているだけだった。


(つづく)