アウトサイダー | 未知なる心へ

未知なる心へ

統一教会入信から脱会までの日々と、脱会後の魂の彷徨。

アウトサイダー [DVD]/C・トーマス・ハウエル,マット・ディロン,トム・クルーズ
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中学生の頃、この映画が大好きだった。昔はまだわたしの自宅の最寄り駅の近くに映画館があり、そこに一人で見に行った。誰かと一緒に行くよりも、なぜか一人でじっくりと見たいと思ったのだ。

もっとも、この映画は金持ちの少年グループと、対峙する貧しい不良グループとの対立が軸の、普通の青春映画である。「アウトサイダー」といっても、極端なはみだし者が登場するわけでもない。でもわたしは当時、この映画が描く世界に強く憧れて、ファッションまで真似をした。といっても、Gジャンを買ったというだけなのだが、そのGジャンを着ては用もないのに商店街を一人でふらついたものだった。

  • アウトサイダー【outsider
    ①社会の既成の枠組みからはずれて,独自の思想をもって行動する人。局外者。異邦人。
    ②生産協定・賃金協定などに参加していない同業者。
    ▽↔ インサイダー


    これは、コトバンクからの引用である。わたしは子供の頃から、自分だけどこか周囲から浮いているような、強烈な違和感や孤独感を感じる事が多かった。その孤独感ゆえに統一教会に入ったとも言える。

    そして統一教会を脱会してからも、社会との違和感に悩み、一時期は精神安定剤も飲んでいた。それが上座仏教と出会ってからは心も安定し、紆余曲折はあったものの、いまでは普通の生活を取り戻している・・・はずだった。自分では、まあ一般的な社会人として、それなりに「常識」的に生きているつもりだった。

    しかし、そうではなかった。一昨日から続く靖国参拝の件。わたしはブログのコメントを書きながらも、強烈な違和感で頭が混乱していた。べつにわたしは、首相の靖国参拝に反対しているわけではない。ただ、それに対する世論の高揚に違和感をおぼえたから、あんな記事を書いただけだ。

    でも、あんな考えは「世間」では通用しないらしい。昨日は正直、疲れきった。昔感じていた孤独感、社会との違和感がふつふつと湧き上がってきた。そして、何かのブログで「国民の85%が参拝を支持している」という記事を目にした時、強烈なショックを受けた。が、次の瞬間、そのショックは納得に変わった。

    そうだ、結局、おれはいまでもアウトサイダーなんだ。世間に迎合できないへそ曲がり。あまのじゃく。いや、意図的に世間に逆らっているわけじゃなくて、わたしの考える事は、結果的にいつも、社会一般の潮流と逆行してまうのだ。

    いま、太宰治の「人間失格」を読んでいる。読むのはたぶん、これが三回目くらいだ。でも、今までは正直、あまり感情移入できなかった。

    この「人間失格」は太宰の自伝的小説だと言われているが、この主人公はやたらと女性にもてる。わたしは以前、「おれは女性にもてない」というコンプレックスが強かったので、この「女性にもてる」という一点で、すでにこの主人公は自分とは別物だと線を引いてしまったのだ。

    でも今こうして、まがりなりにも結婚して家庭を持ち、そういう劣等感から多少は解放された中でこの小説を読み返してみると、学生の頃とは違って、多大なる共感を持って読むことができる。

    太宰はまぎれもなくアウトサイダーだ。周囲の人間との圧倒的な違和感を幼い頃から感じている。それはチャールズ・ブコウスキーも同様だ。太宰とブコウスキー。作家としての評価は比べようもないが、その根底には同じようなものが流れていると、わたしは感じた。

    「人間失格」の中に、次のような一節がある。

    「しかし、お前の、女道楽もこのへんでよすんだね。これ以上は、世間が、ゆるさないからな」
     世間というのは、いったい、何の事でしょう。人間の複数でしょうか。どこに、その実体があるのでしょう。けれども、何しろ、強く、きびしく、こわいもの、とばかり思ってこれまで生きてきたのですが、しかし、堀木にそう言われて、ふと、
    「世間というのは、君じゃないか」
     という言葉が、舌の先まで出かかって、堀木を怒らせるのがイヤで、ひっこめました。
    (それは世間が、ゆるさない)
    (世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?)
    (そんな事をすると、世間からひどい目に逢うぞ)
    (世間じゃない、あなたでしょう?)
    (いまに世間から葬られる)
    (世間じゃない。葬るのは、あなたでしょう?)

    (新潮文庫「人間失格」より抜粋)

    そう、太宰は「世間」「常識」を持ち出す人間の欺瞞に気付いていたのだ。「常識」という葵の御紋をバックにして、自分の意見を正当化し、その意見を通そうとする人間のずるさを。

    こんなことを書いているわたしは、やっぱり変人だ。アウトサイダーだ。だからわたしも「人間失格」と言われたのだ。異端といわれる統一教会にいた時も、恋愛したら地獄に堕ちるといわれる環境の中でさえ、好きな女の子にプレゼントを贈ったほどの変わり者なのだ。

    でも、アウトサイダーという言葉を、自分の隠れ蓑にするつもりはない。これからも、この社会で生きていかねばならないのだから。周りの人と調和をはかりながら、明るく楽しく生きていくつもりである。

    でも、ブログは路線変更せざるを得ないかな・・・。自分としては、自分の体験が多少なりとも悩んでいる人の役に立てるかと思っていたのだが、どうもそうではなさそうだ。わたしは大多数の人間とは、どうも思考様式が異なるようである。ということは、あまり多くの人の参考にはならないということだ。

    だから、人の役に立とうなんて考えは捨てる。ただ、面白いと思ってくれればいい。娯楽の読み物。それが一番ふさわしいだろう。

    図らずも、今回の件で、あらためて自分の現在の姿が浮き彫りになった。そういった意味ではよかったのかもしれない。なかなか自分でも、自分自身のことはわからないものだから・・・。