わたしは、36万双の祝福(合同結婚式)を受ける方向で心が定まり、必要書類の準備や写真撮影、健康診断等の手続きに入ろうとしていた。
心の片隅には、一抹の寂しさを感じながらも、これが自分の再出発だと、まだ見ぬ相対者(合同結婚式で選ばれる相手)との出会いに、あらたな希望を見出そうとしていた。
そんな時、再び、仲田さんから電話があった。この前の電話から、まだ四日ほどしか経っていない。
とにかく、霊の親として、これからも連絡は取りつづけようと思っていたから、わたしはよろこんで受話器をとった。
だが、仲田さんの様子が、どうもおかしかった。「どうしたの、何かあったの?」と聞いても、なかなか答えようとしない。あきらかに、何かを言おうとして、躊躇している様子だった。
そして、「あのあと、また手紙を書いて出したんですけど、まだ見てませんか?」と聞いてきた。わたしが、「いや、まだ見てないけど・・・」と答えると、ついに、意を決したように、話し出した。
「佐川さん、やっぱり、一緒になれませんか?」
この瞬間の気持ちを、なんと表現すべきだろうか。どんな言葉でもあらわし尽くしきれないだろう。驚きと恐怖、悦びと不安、それらすべての感情が塊となって、わたしの胸に、一気に押し寄せてきたかのようだった。
わたしは、答えようがなかった。「はい」とも「いいえ」とも、言えるわけがなかった。わたしは何も言えずに、ただ沈黙していた。
すると、仲田さんは「すぐにでも、会いたいんです。そっちへ行ってもいいですか?」とまで、言ってくるではないか!
わたしは驚いた。あの大人しく控えめな仲田さんが、そんなことまで言うなんて、想像すらできなかった。わたしは驚きながらも、なにかぼんやりしたような、現実離れした感じを味わっていた。
なんなのだ、これは。なにが仲田さんにここまでさせるのか? もし、祝福を遮ろうとするサタンが本当にいるのなら、これがそうだ。これこそまさにサタンのなせる業にちがいない!
結局わたしは、その時はなにも言えずに電話を切った。
そして翌日、手紙が届いた。その手紙の文字は、前回の手紙とはうって変わって、殴り書きのように文字が乱れていた。急いで、慌てている様子が、そこからは明らかに見てとれた。
佐川さんへ
佐川さん、まだ祝福の手続きやってないですよね。お願いだから、ちょっと待ってください。勝手なこと言ってすみません。手紙の中の写真見ていたら、いてもたってもいられなくなった。
自分、考え方間違えていたと思う。佐川さん、私に聞いたよね。「仲田さん個人としての思いはどうなの?」って。私、その時はっきり言えんかったよね。それは、自分に、統一教会の人と結婚するっていったら、家族の人は絶対色々と言うし、反対するという思いと、佐川さんが歩んできた道を閉ざしてしまうという思いがあったから。
いま、自分は思いました。私は自分の気持ちというよりも、統一教会ということにすごくこだわっていて、自分の気持ちを殺していたと思う。
もし、佐川さんが統一教会の人でなかったら、自分も統一教会と全然関係なかったら、それで知り合って、佐川さんと付き合ってたら、絶対、私は一緒に居たいと思ったし、本当に必要な人だと思った。
何もなくたって生きていける。それくらいの覚悟はあります。ただ、人を思うこころ、愛があれば、必ず何があっても生きていける。今、強く確信できる。
どうして、本当に心から思ったこと、絶対余計なことは考えていないし、何も考えていない。それで思ったことを、そういう事で押しつぶしたらいけないと思った。
その気持ちが偽物で、お金とか自分の欲とかで思った気持ちなら、そうなってもかまわない。でも絶対、そうじゃない。
自分は、人とか物とかにとらわれすぎていて、自分の心を全然思わなかった。いま振り返ると、本当にそうだった。見失っていたし、全然自分から思おうとしなかった。
今、本当に初めて思った。自分の心、自分の意志で決めたことから、初めてものが言えた。
偽物の心で一緒になりたいと思ったなら絶対いけない。本当のこころ、愛で一緒に居たいと思ったことがいけないはずはないし、できないはずはないと思った。
人間一人では生きていけないし、生きられない。絶対誰かに頼って、支えられ生きてると思う。
佐川さんは私にとって勇気を与えてくれる人。尊敬できる人。本当に私にとって必要な人です。
今頃になって、こんな勝手なこと言ってすみません。本当に勝手なことですみません。
佐川さんが自分を大切に思ってくれる思い、自分が佐川さんを心から必要と思う気持ち、これがあれば、これにかなうものはないと思う。
自分の心、自分の意志を持たせてくれたすべてのものに感謝でいっぱいです。ありがとう。
6月12日 仲田美樹
本当になぐり書きでごめんなさい。
こんな手紙をもらって、心の動かない男がいるだろうか? わたしはこの手紙を読んで、震えた。ものすごい幸せを感じた。
もしこれが恋愛ドラマだったら、ヒロインの愛に目覚めた主人公が、ボストンバッグに荷物を詰め込み、彼女のもとに駆けつけてハッピーエンドを迎えるだろう。
だが、わたしは、そうはならなかった。これがドラマと現実との違いである。
わたしにはわかった。今回こそが、本当の「神とサタンの分岐点」だ。今回の選択で、わたしの今後の人生が決まる。祝福を受けて一生この道を行くのか、この道を捨てて、仲田さんと新しい人生をスタートするのか、この選択は、自分の一生を賭ける重大な決定になることは、間違いなかった。
ここでわたしは、ある決心をした。
最後の決定を、神に委ねようと思ったのだ。
ここで、このままここを飛び出し、仲田さんの元へ走ることもできる。だが、それでは逃げたことになってしまう。
「アベル・カインの原則を破ったから、アダム・エバ(男女問題のこと)で落ちた」と、信仰講座のネタにでもされるのがオチである。
まがりなりにも、この道を信じてここまで歩んできたんだ。もし、原理にあるように、本当に神がアベルを通して働くというのなら、そうしよう。筋を通そう。その上で、最後の結論を出すんだ。
アベルを通して、神が働く。もし、祝福を受けるのが神の御心であるのなら、そうなるだろう。
そうなっても、ならなくても、ここで決着をつけることになるのはわかっていた。
わたしはそう決断し、ここ数日のわたしと仲田さんとのやり取りを、すべて所長に報告しようと決めた。
最後の決断の日が、目前に迫りつつあった。
(つづく)