愛媛マラソン
世間ではSNSの更新回数が明らかに激減し、SNSを見る方も発信する方も確実に飽きてしまっているのではないかと思われる中、皆様はいかがお過ごしでしょうか?
私も、その中の一人なのでありますが、NOMAN氏はある物語の続きを遂行する為に愛媛マラソンに出場したという事実はあまり知られていないし、誰も興味がないの確実視されているのでありますが、
NOMANの歴史の一ページをブログに記録し、パンチドランカーになり記憶がなくなっても、思い出せるようにしようと現在キーボードを打っているが事実であります。
NOMANという男性は18年前の中学三年生の頃、現在訪れてしまっているマラソンブームを予想し、8歳年上のNOMAN兄さんの影響もあり、時代を先取りして陸上競技部に所属してしまっていたのでありますが、
当時42番目に強かった愛媛県で都道府県対抗男子駅伝のメンバーに奇跡的に選出されていた事はあまり知られていないのであります。
そこで初めて、8歳年上のNOMAN兄さんの引退レースで同じチームになり、兄弟での襷渡しのチャンスがやってきたのであります。
てっきりNOMANは兄弟リレーが出来るものだと思っていたのですが、ところがどすこい、NOMAN氏は選考会でサッカー部の男性に0.1秒差で敗れており、NOMANの伝家の宝刀【詰めの甘さ】で、NOMAN兄さんとの兄弟リレーが幻となっていたのであります。
それが原因か、NOMANは強豪高校の低迷期の時代に落ちこぼれながらも、箱根駅伝を走った8歳上のNOMAN兄さんを追いかけ、神奈川大学へ入学出来たものの、半年で挫折し、自称キックボクサーに進化してしまったのであります。
そんな中、同じレースを走るチャンスが18年ぶりに実現し、おじさんになって青春の続きをする事になったのであります。
しかし、18年前同様、NOMANの伝家の宝刀である【詰めの甘さ】で愛媛マラソン10日前のペース走を気持ちよく終えたものの、翌日に左ひざに激痛が生じ、確実に腸脛靱帯炎、通称:ランナー膝である事が過去の体験から判断できたのです。
それから練習はせず、治療に専念し、二日前に軽くジョギングをするも2㎞で激痛で無念のリタイヤとなり、
絶対に無傷でゴール出来ない事が予想され無念のリタイヤも一つの手であると考えましたが、一つのストーリーを完成させなければならぬと思い、
愛媛マラソン前日に、
マッサージ
↓
鍼灸
↓
スーパー銭湯
↓
あかすり
のスペシャルコースで1万円以上を投入し、もしかしたらマグレで走り切れるかもしれないと、マイペンライ精神とでも言いましょうか・・・
そんな考えで愛媛マラソン当日を迎え、3食昼寝付き、全国の港に女が出来ると噂される内航海運発展の為に、スタートラインに立ったのです。
スタート後、NOMAN兄さんと一緒のペースで並走し足に違和感はあるものの、鍼灸その他スペシャルコンボで身体に投資したのが功を奏したか、こりゃもしかしたら42.195㎞持つかもしれないと、期待しながら力走しておりましたが・・・・・・
肉体的、呼吸的にはまだまだ余力が残っているのに、30㎞過ぎ故障個所がハイパースパーク・・・
もう確実に走れません。歩くのがギリギリで残り12㎞・・・
気温2℃
海から吹き付ける強風・・・
NOMANは死を覚悟しました。
中間点は1時間36分47秒
中間点からゴールまで3時間00分33秒
NOMAN兄さんの背中を今回も追い抜く事が出来なかったのであります。
恐らく、3000人近くには抜かれました。
もう完全に罰ゲーム中の罰ゲームなのです。
何とか格闘技で培った根性という武器で12km間一度も走ることなく、
死を覚悟しながらゴールしたのであります。
ゴール後、何とかトイレにたどり着き、御小水を放出しようと息子を確認すると、
気温2℃という寒さからか、穴に隠れているのではないかと思わせるくらい縮みこみ、紫色になり何かを主張している姿を見ると切なくなり、
東京から愛媛県までの交通費、食事代、マッサージ代、その他・・・
軽く10万円近く使って全治1ヶ月ほどの怪我。。。青春の続きは出来たものの、
私、NOMANは何しているのか・・・・
もうNOMANは練馬区のジムに通っておられる小林恭○さん(仮名)の素晴らしいアドバイスと言うかクソバイスに影響されて転向してしまった専属市民ランナーを引退し、
2年前に多額の資金を投入し入場曲を作ったのに未だに使用できず、資金が回収出来ず借金まみれなので、来年くらいに試合をしたいと思っております。
結局わかった事はひとつだけ・・・
NOMAN兄さんと初のガチンコ勝負したけど、今回も超えられなかったねん。
ここ最近は怪我等で、勝負前に負け勝負すら出来てないのが現実なのだ。
結局は日ごろの行いやな・・・