「街とその不確かな壁」は「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」を書き直した作品となっています。以下で自分の解釈を記述していきます。

 自分の解釈では「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」では、作中に出てくる高い壁に囲まれた中世ヨーロッパのような街=人間の無意識となります。この街に主人公は永遠に住む事で物語はラストを迎えます。それは無意識の世界で永遠に生き続ける事を指しているとも言えますし不死の存在となる事も意味します。自分の影と永遠に離別し、ユング心理学的には自分の影(シャドー)と向き合う事で個性化はなされるとされますが、主人公の男性の個性化は果たされなかったとも言えます。

 

 「街とその不確かな壁」の第一部の終盤では、「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」のラストと同様に、主人公の男性は自分の影と一緒に高い壁に囲まれた中世ヨーロッパのような街を抜け出そうとします。ところが「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」のラストと同様に逡巡した結果、街に留まる決意をします。「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」ではこの場面で分かりやすく言えば物語として終わりを迎えていました。

 ところが、「街とその不確かな壁」ではこの場面で物語は終わりを迎えず、何故か主人公の男性は現実世界に戻って来てしまいました。ここで現実社会の男性は思案します。若しかしたら、自分は街を抜け出した影の方の自分であり、街には街に留まる事を決意した自分がまだいるのかもしれないと。

 

 「街とその不確かな壁」において主人公の影が、主人公の男性に様々な仮説を主張する場面があります。不思議な街は不完全な街であり、街にいる住民は決して本当の姿なのではなく不完全な状態であり、街を出た人こそが完全な状態であり本当の姿をしているのではないのかと。

 ユング心理学だと、影(シャドー)とは人間が認めたくない未熟な考えや消し去りたい過去であり、これと向き合って内包して(影、シャドーとの統合)、個性化は果たされるとされています。当然、影(シャドー)と向き合わなくてはいけないので個性化は火をくぐるような非常に苦しい作業となります。

 つまり、どんな人間にも表と裏があり、その両面が存在して人間と言える。上記の主人公の影の指摘では、不思議な街の住民は表もしくは裏のみで存在しており、両面が存在していないので本当の姿をしてはいない。ではここで一つの疑問が頭を渦巻きます。現実社会の人間が表であり不思議な街にいる住民が裏なのか。それとも不思議な街にいる住民が表であり現実社会の人間が裏なのか。一体どちらなのか。

 

 物語の流れを言えば、「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」が主人公の男性と主人公の影が離れ離れになり、主人公の男性は街から出てこれず、不死の存在となり物語は完結します。この部分の解釈は、ユング心理学で指摘する所の集合的無意識の中で永遠に生きる主人公、若しくは存在自体が集合的無意識と化した主人公とも読み解けます。

 

 その一方で、「街とその不確かな壁」は主人公と主人公の影が離れ離れにはなりますが、街から出てきた自分も確かに存在する。その街から出てきた主人公(若しくは主人公の影)の物語が自問自答しながら生きていく物語が「街とその不確かな壁」の主たる物語となっています。

 

 「街とその不確かな壁」は是非読んで欲しい作品であり、「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」を読んだ直後に読むと、作品の理解が進みます。是非両作品共に読んでみて下さい。