この記事を閲覧している方は、普段から勉強家だと推測しています。ある人は学位取得を目指し、ある人は資格取得を目指している。またある人は大学院で勉強しているかもしれない。そのような日本人が増えた時に、日本は再び輝きを取り戻す事になる。

 

 宗教改革がかつてありました。これに多大な貢献をしたのが活版印刷でした。それまではキリスト教関連の聖書や神学の書籍が、過度にカトリック教会関係者に独占されて無辜の民はカトリック教会関係者の説話を受容するだけの存在でした。当然、書籍を読んだ事もない無辜の民は、カトリック教会関係者の話は疑問にさえ思いませんでした。

 

 ところが活版印刷が世に出てから、状況は一変します。無辜の民が聖書や神学の書籍を入手して読む事が可能になります。すると無辜の民が聖書の解釈について議論を始め、市民による様々なキリスト教に関する議論がスタートします。

 先鋭的な無辜の民は

 「あれあれ?カトリック教会関係者の話って、教会関係者が恨まれないように都合よく自分たちのような一般市民に話していただけなんじゃない?教会関係者って免罪符を販売して商売しているけど、あれって聖書の何処にも免罪符の事が書いていないじゃん。聖書の何処にも書いていないのに、今販売するのってコンプライアンスとかCSR的にどうなの?」と現代風な会話に訳すと、この様な会話も当然あったでしょう。

 

 以上の話は現代も通じると考えています。だから学問の重要性があるし、書籍を読む重要性があります。

 

 また学問や書籍を読むのは大正解がない世の中を考えるのにも役立ちます。文系の学問は通説もあれば異説やその他説もあります。

 実に様々な学説や見解があり、それを勉強するだけでも、

 「世の中には様々な考え方を唱える学者が多いんだな。変な学説や理解できない尖った学説も多く、志村けんさんの変なおじさんというコントがあったけれど、世の中には変な学説を唱える変な大学教授がいるんだな。そう言えば地下鉄を作ろうとか高速道路を作ろうとか言うと、必ず反対する大学教授がいるし。宇沢弘文さんも有識者会議では国のやる事に必ず大反対だったし」と世の中の異端児みたいな人は逆に勇気づけられるかもしれません。

 

 つまりは論理が飛躍しますが学問や書籍を読むのはエンタメとしても楽しめる一面もあるのです。