今日のノマド&パレオドクターの格言
     「不要な要素は捨てる/font>

$ノマドドクター・ヒロのブログ




今日は午前中の仕事の間に「湧水」を汲みに行きました。


この湧水地周辺は街とは隔離された世界で、アベノミクスや預金封鎖とは関係のない世界でした。
しかし、急激な円安になればガソリン代が跳ね上がるため、田舎の生活をも直撃します(ノ_-。)。


最近、大変つらい仕事である在宅診療ですが、診療をしていて気づかされたことがあります。

生活保護の方が圧倒的に多いのですが、この方たちは案外と心が汚れていないというか、
現代の歪な社会システムに適応できなかったために逆に人間らしいところがあると思うようになりました。

逆に元お役人さん、元自衛隊員や一般のサラリーマンの方が、人間的に汚らしい(表現がまずくてごめんなさい)ところが多く、本当は生活保護者よりも日本社会に依存している傾向があることをしみじみと感じています

さて、先日、よく不定愁訴で緊急往診を依頼される(私はコンビニではありません!)困った生活保護の女性から大変良い話を聞きました。

この方が同じ建物に住んでおられる生活保護者の女性と最近親しくなったらしく、よく2人で散歩するようになったと報告してくれました。

実は、この同じ建物に住んでおられる生活保護者の女性。
「超」がつく悲観論者で、いつも

・腰が痛い。
・生きていてもしょうがない
・食欲がない
・自分の息子は金目当てでしか私に接触しない
・寝れない
・となりがうるさい
・人間は嫌い
・・・・・・・・・などなど不満のオンパレードで私もいつもお部屋に入る前には覚悟して
入らなけばらないほどマイナスのオーラを放っていました。

そのくせ、薬は要求するのですよね。

ところが同日、この方を訪問診療すると表情が非常に柔らかになって、悲壮だった顔に明るさがみなぎっていたのです。

どうしたのかな?

と思っていましたが、なるほど。
話す相手ができたからなのですね。

もう一人の不定愁訴の多い女性も最近、耳鳴りがなくなったなどとケロッとしています。

これ、非常に大切なことなんです。

孤独というものがどれほど人間にとって恐ろしいものかをモノがっているのです。

最近、妻とも話したのですが、家庭で女性を縛る男性が多いということで、
その女性の自由な行動が抑制され、うつ状態になることがあるということについてでした。

やはり、コミュニティの中で人間どうし触れ合うことが生きていくうえで非常に大切なんです。
他愛もないことを話すだけでもよいのです。

人間は進化上、社会的動物(このことも次作のテーマにしたいですo(^▽^)o)ですので、
コミュニティから切り離された人間は生きる目的を失いがちになるのです。
これは人間である以上、避けられません。

ロビンソン・クルーソーもおそらくいつかはコミュニティに帰れると思っていたから、
孤独に耐えられたのではないでしょうか?

大変つらい在宅診療ですが、それを通じて改めて感じたことでした。