2/29
人々がカンボジアを訪れる第一の目的は、
観光という点においてはまず間違いなくアンコールワットだろう。
アンコールワットのある街、シェムリアップは、
沢山の観光客で溢れかえっている。
東南アジアでは外国人観光客でごった返している所を幾つも見てきたが、
この街もその一つだ。
日本人旅行者もかなり多く、日本語の看板が目立つ。
アンコールワット遺跡群の入場料は一日20アメリカドル。
僕が今までに払ってきた入場料の類では一番高く、
それをカンボジアの物価の低さと掛け合わせて考えると、とんでもない金額だ。
だが、このシェムリアップの街の賑わいようを見て思った。
僕が払った20ドルでカンボジアの経済は成り立っているんじゃないだろうか。
国の国旗にもなっているアンコールワット。
この国にとって、この遺跡はとても重要なのだ。
僕は自転車で遺跡群を見て回った。
街中からは30分程の距離だが、
遺跡群に入ってからも遺跡は広範囲に点在しているので、
それらを自転車で回るのは意外と大変だった。
遺跡群には感動できる遺跡が幾つもあった。
遺跡にはあまり興味がなかった上に、
20ドルの入場料にかなりひるんだが、
これは来て良かったと思える。
巨木が遺跡を貫くタプロームや、
無数の顔がモチーフの遺跡、バイヨン。
どちらもかなり迫力がある。
正直アンコールワット自体にはさほど感動しなかった。
アンコールワットは遺跡群の中で最後に見たのだが、
そこに辿り着くまでに疲れ果てていた上に、
遺跡も敷地も大きいのでかなり歩く羽目になる。
宿に戻った時にはもう憔悴しきっていた。
一晩眠れば明日はタイに再入国だ。
この周辺では少しバスで足を伸ばせば他の国に入れるから面白い。
国が変われば文化も食も変わる。
カンボジアのカレーは全く辛くない。
食文化全体にスパイシーさはあまり感じられなかった。
逆に何を食べても味付けが甘い。
納豆と魚の煮物もあった。
少し甘いのを除けば日本の味にも近い。
食べている途中で、これが納豆かどうか疑問に思えてきた。
納豆になってしまった豆ではないか?
とにかく美味しかったし、体調は悪くなっていない。
インドでは毎日のカレーで胃にかなりのダメージを受けたが、
極めつけは一つの卵だった。
僕が住んでいたリシケシという町は、
ヒンドゥー教の厳しい戒律の為、卵さえ食べない程の菜食主義。
そんな菜食の町に売っていた卵が新しいはずがない。
今までに食べたことのない程、美味しい卵だったが、
どうやら一線を越えてしまっていたようだ。
それから1ヶ月も胃の調子が悪かった。
今回の納豆はすんでの所でこちらの世界の物だったので良かった。
タイは僕の食に対する欲を満足させてくれる。
至る所に、色んな種類の屋台が出ている。
色んな匂いが、街に溢れている。
僕は味付けに関してかなり寛容なので、
どの国でもあまり自分に合わないとは思わなかった。
どの国にももう一度食べたいという料理が必ずある。
それでもタイの料理が一番好きだ。
タイに戻るのが楽しみで仕方がない。
タプローム
バイヨン
アンコールワット
2/27
プノンペンの街は活気に溢れていた。
2日しか滞在していないのだが、
決して治安が悪いとも思わなかった。
ほんの35年前まで、ここで残虐な政治が行われていたとはとても思えない。
その当時、この街の人々は農村部に強制移住させられ、
街にはほとんど人がいなかったようだ。
そして沢山の人が殺された。
知識は要らない。
それが当時のカンボジアの独裁政党、クメールルージュの方針だった。
学者、教員、文字が読める人は全て殺された。
貨幣制度も廃止された。
私財は全て没収された。
皆が国の為に田畑を耕し、国の為に血を流して働く。
クメールルージュが目指していたのは、
そんな超原始共産主義の世界だった。
その結果沢山の人が飢え死にした。
お金も持ち物も無く、皆が平等の世界。ユートピア。
現実には食べる物すら無いこの世の地獄だ。
トゥールスレン刑務所。
プノンペンの街中の元学校の校舎を刑務所に改造し、
拷問、処刑が繰り返された。
今はその繰り返されざる歴史の記録として、
記念館として残されている。
僕はそこを訪れたのだが、
床には沢山の血痕も残されたままだ。
使われていた拷問器具の数々。
悲鳴まで壁に染み込んでいるような独房。
発見された無数の骸骨の展示。
同じ空の下、いつも何処かで争いごとは起こっている。
戦争や紛争が世界中からなくなる日なんて決して来ないかもしれない。
それでも、一つでも多くの街が、
このプノンペンのように平和を取り戻して欲しいと思う。
トゥールスレン刑務所
元教室内に作られた独房
拷問器具
プノンペンの街は活気に溢れていた。
2日しか滞在していないのだが、
決して治安が悪いとも思わなかった。
ほんの35年前まで、ここで残虐な政治が行われていたとはとても思えない。
その当時、この街の人々は農村部に強制移住させられ、
街にはほとんど人がいなかったようだ。
そして沢山の人が殺された。
知識は要らない。
それが当時のカンボジアの独裁政党、クメールルージュの方針だった。
学者、教員、文字が読める人は全て殺された。
貨幣制度も廃止された。
私財は全て没収された。
皆が国の為に田畑を耕し、国の為に血を流して働く。
クメールルージュが目指していたのは、
そんな超原始共産主義の世界だった。
その結果沢山の人が飢え死にした。
お金も持ち物も無く、皆が平等の世界。ユートピア。
現実には食べる物すら無いこの世の地獄だ。
トゥールスレン刑務所。
プノンペンの街中の元学校の校舎を刑務所に改造し、
拷問、処刑が繰り返された。
今はその繰り返されざる歴史の記録として、
記念館として残されている。
僕はそこを訪れたのだが、
床には沢山の血痕も残されたままだ。
使われていた拷問器具の数々。
悲鳴まで壁に染み込んでいるような独房。
発見された無数の骸骨の展示。
同じ空の下、いつも何処かで争いごとは起こっている。
戦争や紛争が世界中からなくなる日なんて決して来ないかもしれない。
それでも、一つでも多くの街が、
このプノンペンのように平和を取り戻して欲しいと思う。
トゥールスレン刑務所
元教室内に作られた独房
拷問器具
2/26
寝坊した。
カンボジア、首都プノンペンに向かうバスは朝6時半発。
起きたのは7時半。
チケットの払い戻しをお願いしたが出来るはずもなく、
その10ドルのチケットはゴミ箱に捨て、
別会社のバスで9時にホーチミンを出発した。
今日からは一人旅、初日から気が抜けている。
ベトナム国境を越えカンボジアに入ると、
空気も景色もがらりと変わる。
国境と言う見えない境界線は、
カンボジアの空気感を封じ込めている。
広大で果てしない大地、深い森、大きな沼。
バスは砂埃を舞い上げて首都プノンペンを目指す。
道沿いには小さな村が点々としている。
直径10センチにも満たない、ただの棒切れにしか見えない電柱に、
頼りなくぶら下がった電線が村と村を繋ぐ。
途中、大きな川にさえぎられ、道は行き止まりになる。
車は一旦そこで停止。同じように他の車もかなり溜まっている。
最初は気づかなかったが、ゆっくりバスが動き出すと、
その先には巨大なフェリーが待ち構えていて、
十数台の車を乗せてフェリーが川を越える。
しばらくすると電柱もずっとましになり、走る車もバイクも増え、
街らしくなったなあと思ったらそこはもうプノンペンだった。
昨日の夜、屋久島でも生活を共にし、9月から半年間旅を続けてきた僕のパートナーを、
ホーチミンの空港で見送った。
僕はこのまま旅を続け、彼女は一足先に日本に帰る。
思えば半年間何てあっという間だった。
このブログを始めたのが2008年11月。
それから3年と4ヶ月、僕はまだ旅をしている。
僕は19歳の冬、アメリカに留学した。
場所何て正直どこでも良かった。
名前の響きでペンシルバニア州に決めた。
日本じゃ無いどこかで暮らしたかった。
そして海外で暮らして初めて日本の良さに気付いた。
それと同時に世界がとてつもなく面白いことにも気付いた。
世界中で幾つもの夜が脈々と連なっている。
世界のどこかの街で、また新しい物語が始まっている。
マラケシュで、バルセロナで、イスタンブールで、
バンコクで、東京で、屋久島で、ここプノンペンで。
また、一人旅が始まった。
終わりではなく始まりを目指す旅。
夕暮れ時のプノンペン
寝坊した。
カンボジア、首都プノンペンに向かうバスは朝6時半発。
起きたのは7時半。
チケットの払い戻しをお願いしたが出来るはずもなく、
その10ドルのチケットはゴミ箱に捨て、
別会社のバスで9時にホーチミンを出発した。
今日からは一人旅、初日から気が抜けている。
ベトナム国境を越えカンボジアに入ると、
空気も景色もがらりと変わる。
国境と言う見えない境界線は、
カンボジアの空気感を封じ込めている。
広大で果てしない大地、深い森、大きな沼。
バスは砂埃を舞い上げて首都プノンペンを目指す。
道沿いには小さな村が点々としている。
直径10センチにも満たない、ただの棒切れにしか見えない電柱に、
頼りなくぶら下がった電線が村と村を繋ぐ。
途中、大きな川にさえぎられ、道は行き止まりになる。
車は一旦そこで停止。同じように他の車もかなり溜まっている。
最初は気づかなかったが、ゆっくりバスが動き出すと、
その先には巨大なフェリーが待ち構えていて、
十数台の車を乗せてフェリーが川を越える。
しばらくすると電柱もずっとましになり、走る車もバイクも増え、
街らしくなったなあと思ったらそこはもうプノンペンだった。
昨日の夜、屋久島でも生活を共にし、9月から半年間旅を続けてきた僕のパートナーを、
ホーチミンの空港で見送った。
僕はこのまま旅を続け、彼女は一足先に日本に帰る。
思えば半年間何てあっという間だった。
このブログを始めたのが2008年11月。
それから3年と4ヶ月、僕はまだ旅をしている。
僕は19歳の冬、アメリカに留学した。
場所何て正直どこでも良かった。
名前の響きでペンシルバニア州に決めた。
日本じゃ無いどこかで暮らしたかった。
そして海外で暮らして初めて日本の良さに気付いた。
それと同時に世界がとてつもなく面白いことにも気付いた。
世界中で幾つもの夜が脈々と連なっている。
世界のどこかの街で、また新しい物語が始まっている。
マラケシュで、バルセロナで、イスタンブールで、
バンコクで、東京で、屋久島で、ここプノンペンで。
また、一人旅が始まった。
終わりではなく始まりを目指す旅。
夕暮れ時のプノンペン






