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ノマドの森から - from the Nomadic Woods -

移動を続けるノマドの森から届く不定期郵便

まさかこんなにも都会だとは思っていなかったペナン島。
狭い島の中に乱立したビル群の隙間を、
凄い数の車とバイクが、凄いスピードで駆け巡る。

街中のあらゆる所に中国語が目立つ。
ここでは中華系住民人口がマレー系を上回る。
何とも不思議な感覚だ。
急に中華の世界に紛れ込んでしまった。

と思うと、ここにはインド世界も広がっている。
リトルインディア。
角を一つ曲がっただけで大音量のインド音楽。
強烈なお香の香り、スパイスの香り。
さっきまで中華料理しかなかったのに、
今度はカレー屋しか見当たらない。

これがマレーシア、多民族国家だ。

ペナン島では料理に飽きることがない。
毎日違う料理、まるで違うテイストの料理が食べられる。

インドでは毎日カレーしか食べなかった。
モロッコでは毎日タジン鍋しか食べなかった。
それぞれバリエーションがあるにしても、
やはり僕らにとっては同じようなものだ。
もちろん外国人向けにスパゲティやらピザなどもあるが、
クォリティーが低い上に値段が高いという代物。
毎日カレーなりタジン鍋なり食べてたほうが余程良い。

だがここでは、それぞれの本物が作っているんだから間違いない。
屋台や安い食堂を巡っているだけでも美味しい料理に出会える。
ここで食べるカレーのほとんどは、
ココナツミルクがベースの南インドカレーだ。
というのも、どうやら移住して来ているインド人はほぼ南インドからのようだ。

インド料理に関しては高級店にも入ってみた。
食べたのはカシミールチキン。
北インド、カシミール地方のカレーだ。
こんなに美味しいカレーはインドでも食べたことがない。
絹のように滑らかで、コクがあるのにしつこくない。
インド料理は、本場インドでは無いほうがまろやかで食べやすいとすら思った。

インド料理の他に、 インド系移民がマレーシアで生み出した料理というものもある。
ナシカンダー、 ナシレマッなどがその類だ。
これらはインドでは無くマレーシアでないと食べられない。
そういった文化の融合が料理に表れるのも面白い。
そして美味しい。

ここペナン島では、食べるのが一番の楽しみだ。
食べてばかりいる。
正直な所ほとんど観光していない。
暑くて観光どころでは無い。
デパートの冷房の中に避難したりもする。
海辺の木陰で休んでいたりもする。
食べる以外にこれと言った活動をしていない。

入り乱れた食文化を多いに楽しもう。


photo:01


ナシカンダー

ショーケースに並べられた多種多様のカレーから好きな物を選択し、
白飯にかけてもらう。
店員にチャンポンと言えば、
選択したカレーの他にさらに3~5種のカレーグレイビーをかけてくれる。
色々な味が絡んで複雑な味わい。

photo:05


ナシカンダー店の様子


photo:02


ナシレマッ

チキン、味付け卵、魚の煮干し、炒りピーナッツ、サンバルという辛味ソースを、
ココナツミルクで炊いたご飯と食べる。
魚とナッツが香ばしい。

photo:04


ロティ・ティス

パリパリのクレープ生地に蜂蜜を垂らした物。
上手く食べないと塔が崩れる。

photo:03


ホッケンミー(福建麺)

中国福建省からの移民の料理。
魚介出汁と辛味スープのラーメン。

photo:06


ポークライス

皮付き豚肉を八角(スターアニス)というスパイスを使って甘く煮た物。

photo:07


インド料理屋のタンドリーチキン

柔らかくジューシーでスパイシーなチキン。
タンドリーチキンはナイフより手で食べた方が美味しい。

photo:08


カシミールチキン

前述の高級店のカレー。
高級と言ってもこのカレーは16リンギ(約430円)。
ナッツとレーズンがトッピング。
ナッツは良いが、カレーに入れる果物には未だに違和感がある。




3/15

東海岸コタバルから西海岸ペナン島へ。
午後9時半、夜行バスは暗く、深い森の中をずんずん走って行く。

マレーシアの高速バスの冷房は寒すぎる。
タイでもバス車内は寒かったが、今回は極寒だ。
バックパックから頼り無い長袖シャツと、
布を取り出して体に巻きつける。

そして何と、頭上の送風口から水滴が垂れてくる。
最初のうちは、次の一滴までに乾くと思って無視していたが、
段々と垂れる間隔が狭まってくる。
車内はほぼ満員で席を代わることが出来ず、
持っていた新聞紙で送風口を塞いでガムテープで止めた。
バスの長い待ち時間の為に買った読み物が、
こんな所で役に立つとは思わなかった。

バスの切符は、マレー半島側でペナン島の対岸、
バターワースという所までしか買っていない。
そこからフェリーに乗り、ペナン島へ向かう。

寒すぎる冷房にも慣れ、滴る水滴も防ぎ、
少し安心して一眠りする。
と、思うと新聞紙から溢れる水滴が少し垂れてくる。
そんなことはもうどうでもいい、こっちは眠いのだ。


目が覚めると、バスの前方には幾つものビルが立ち並び、
見事な夜景が視界に広がっている。
コタバルが小さな町だったので、
突如現れた都会の景色に見とれてしまった。

次の瞬間、目の前には海が広がり、
ビル群は海の向こう側だったことに気付く。
バスは橋を渡り、ビル群に突き進む。
ここはどこだと寝ぼけて少し混乱していたが、
そのビル群こそがペナン島だった。

バターワースは寝過ごしてしまい、
不意にもペナン島に到着してしまった。
結果的に目的地に着いたので良しとしよう。
まさかこんなに都会だとは思っていなかった。

ペナン島に橋が掛かっているのは知っていた。
フェリーでも安く市街地に出れるのでバターワースまでの切符を買ったのだが、
ペナン島にはもう入ってしまったし、
郊外のこのバス停がどこに位置しているのか分からないし、
まだ朝方4時半、市内バスも無い。

同じように夜明けを待つ出稼ぎのインド人が僕の隣に座り、
彼と喋りながら始発バスを待つ。

彼はついさっき路上で人に携帯電話を借り、
自分のSIMカードを挿入して電話した後、
その人にカミソリを向けられ、
SIMカードを奪われたと言っている。
なんとも物騒なことを言っているので、
あまりウロウロせず、座って待つ。

6時半頃、まだ暗いが市街地への市内バスが来たので、
荷物を背負って乗り込むと、バスはすぐに出発した。
運賃を払おうとしたら、お釣りは無いと運転手に言われる。
無駄金は使いたくないと思って出し渋っていたら、
次のバス停で降ろされた。

仕方なく元のバス停まで歩いて戻り、次のバスに乗る。
またお釣りは無いと言われたが、他の乗客の運賃でお釣りが出たので、
これでようやく市街地に向かうことが出来る。

ジョージタウンの安宿街、チュリアストリートに着いた頃、
ようやく夜が明けた。


長い、長い夜だった。








3/14

マレーシア北部東海岸、コタバルの町。
タイ南部から連綿と続くイスラム文化は、
ここへ来てさらに色を濃くする。
住民のほとんどがイスラム教徒、
モスクなど礼拝所も町のあちこちに点在する。

一日に何度も礼拝の放送が流れ、
その度にイスラム教徒で無い僕でさえ、
厳粛な雰囲気になってしまう。

遠い、遥かかなたのメッカに向かって、
世界中の10億を超えるイスラム教徒が、毎日お祈りしている。
それを想像すると、目には見えない神の偉大さを感じる。


この地は第二次世界大戦(太平洋戦争)の時、
旧日本軍がマレーシアに上陸した地点でもある。
元々銀行だった建物を秘密警察の総司令部として使用し、
今ではその建物は戦争資料館として残されている。

旧日本軍は、ここからマレー半島を南下し、
シンガポールへ、そしてその先にあるインドネシアへと戦線を進める。
長い間欧米諸国の植民地であったこの地域を、
次々に日本統治下に収めていった。

そして日本は敗戦。
その後、東南アジア諸国は次々に独立を果たしていく。

平和は、沢山の犠牲、沢山の失われた命の元に成り立っている。
それは日本でも同じことだ。


マレーシアに入って、天気の悪い日が多い。
聞いた話では、どうやらモンスーンの影響を受けているようだ。

コタバルでの滞在は1日のみ、
次の日の夜行で西海岸、ペナン島へ移動する。

photo:01


屋内マーケット

photo:02


モスク

photo:03


戦争資料館