ノマドの森から - from the Nomadic Woods - -21ページ目

ノマドの森から - from the Nomadic Woods -

移動を続けるノマドの森から届く不定期郵便

午前4時、完全な暗闇の中、
眠気まなこをを擦りながら寝袋をたたんでバックパックに詰め込み、
宮之浦岳山頂を目指して山小屋をあとにした。
歩くにつれて風は強くなり、遂には月の光さえ雲に遮られ、
頼りになるのはヘッドライトの小さな光のみだった。


前日には縄文杉に来島の挨拶をした。


縄文杉は、何も語らなかった。

何も語らないまま、数千年の時を数えた。

そしてまた何も語らないまま、

数千年を数えるのだろう。


縄文杉を背に、更に奥へ。
目的地は次の目的地への出発地。
皆が里へと向かって帰っていく中、ただ一人山道を奥へと進んだ。


山小屋では、同じく山頂を目指す仲間に出会った。
北海道は留寿都(ルスツ)から来た彼は、僕と同じく初の縦走に挑戦。
年も近い彼とは意気投合し、三岳(焼酎)を酌み交わした。


今この時点では同じ山の頂上を目指す同志。
人と人との繋がりは限り無く平行線に近く、
微妙にぶれが生じたその一点で線と線は交わり、また遠ざかる。
一つ一つの出会いは大切にしたいと思う。


その男と2人、闇に支配されたヒメシャラの森に踏み入った。
頂上までは3時間、道のりは長い、そして暗い。
夜の山では、一歩足を踏み違えることが死に繋がる。
慎重に、着実に足を進める。


歩き始めて2時間、森を越え、急に視界が開けた。
隠されていた月が頭上に現れ、目の前に連なる山々を煌々と照らした。
見たことも無い景色だった。
さらに進むと風はやみ、辺りは徐々に月の光から朝の光へと移り変わる。


その時、僕は立ち止まる。
音が消える。
完全に音が無くなる。
動物の声も、植物の声も聞こえない。
音という音は何も聞えない。
無音という音の景色が広がり、全てを包み込んだ。


屋久島の最高峰は、屋久島のどの集落からも決して見えない、
山の奥の奥に静かにたたずむ。
そこには外の世界からは隔離された、
無音という音に包まれた世界が広がっている。


遂に山頂に辿り着いた頃には既に天気は変わっていた。
真っ白なガスが取り巻いていて何も見えなかった。
稀に顔を出す太陽も数秒後には雲の中。
景色という景色は全てガスが覆いつくした。
この日、宮之浦岳縦走の中で景色というものが広がったのは、
夜が明けて太陽が昇り始めるほんの僅かな時間だけだった。


頂上を目指してきた仲間とは、宮之浦岳山頂で別れた。
彼はまた別の山を目指し、僕もまた別の山を目指す。



次に目指したのは黒味岳山頂。
同じく何も見えない。ガスが深い。
山頂の岩の上には残酷なまでに風が吹き荒れていて、
2本の足で立ちあがるにはあまりに恐ろしすぎた。


今回の縦走は僕に課させられた試練であって、
決して景色を楽しむ為のものではなかったようだ。
視界をガスに遮られ、さらには雨にまで降られる中、黙々と山を下った。
縦走開始から約32時間、今回の最終地点である淀川登山口に到着した。


その時、僕は突然、後ろからカルマに襲われた。
カルマは後ろから左胸を刺して耳元で囁いた。
お前はまた、この山を登らなければならないと。



3日後、午前6時、僕はまた同じ登山口に立っていた。
また、この山を登らなければならない。
ガスの向こうに広がっていたはずの景色を、
今度こそはこの目で見なければいけない。


快晴、橙色の朝日が昇る中、宮之浦岳を早足で登った。
今度は全てが見える。山の向こうに山が見える。

その山の向こうにはまた、山が見える。
巨石がごろごろと転がった不思議な異次元が広がる。


何度も息切れして、立ち止まりながら、一心不乱に頂上を目指した。
ただひたすらに、その景色を一目見たいが為に。
熱病以外の何物でもなかった。


とてつもなく美しかった。
奥岳に降り積もった雪が、
太陽に照らされてキラキラと輝いていた。
この3日間のうちに、屋久島の奥岳では初雪が降ったのだった。


宮之浦岳は、雲海の上にそびえ立っていた。
分厚い雲の絨毯が引かれ、山はそれを突き抜けて空を切り裂く。
頂上からの景色は、上から順に空、海、雲、山と広がっていた。


ここは、どの世界からもほど遠い、
屋久島で最も奥まった位置にある世界。



僕の左胸を突き刺したカルマは、
無言で僕の前を通り過ぎ、南へと向かった。



宮之浦岳





奥岳



千尋はそこに横たわる。





目を閉じて滝の落ちる音に頭を没する。
夜の張りつめた空気を切り裂く轟音。

月明かりに照らされた千尋は、
白銀のしぶきをあげて夜の闇を叩く。



普段は観光客が溢れる千尋(せんぴろ)の滝だが、
夜11時ともなると人影は消え、ひっそりと暗い。
木々の間から漏れる月の光を頼りに進んだその先には、
巨大な一枚岩の向こうに、
いつもと変わらずそこにあるわけだが、
千尋は、人には見られてはいけない夜の顔をしていた。


滝を後にして来た方向に戻っていくと、
今度は月の光が妖しく反射する夜の海が広がっている。
ぼんやりと薄明るい水平線のその先の先まで、
意識の向こうで旅をした。






満月の夜には屋久島が歌う。
暗がりの草むらの奥、あたたかい灯がともされ、
思いも思いの楽器を持ち寄り、
夜な夜なセッションが繰り広げられていた。



ギター、ギター、無数のジャンベ、名前も知らない打楽器。
ムビラという親指ピアノ2台による無限のハーモニー。



クリスタルボウルという楽器に出会った。

水晶からつくられる大小7つの器を扇状に並べ、
器の外側を円を描くように棒で撫で、音を発する。
7つの器が互いに共鳴し合って、とても安らかな倍音の層をつくる。



音と言うよりは波動を、聴くと言うよりは受ける。
自分の耳で聞こえたと感じている範囲なんて、
実際に受け取っている音波の範囲に比べたら、
極僅かな一部分だけなのではないだろうか。



クリスタルボウルの奏者は話してくれた。
屋久島は大部分が花崗岩からなる島で、
河原でクリスタルボウルを演奏すると、
クリスタルボウルは屋久島との共鳴を始めるらしい。



音を通じた屋久島との対話。
音楽は国境や人種だけでなく、動植物間の壁すら越えるらしい。




満月は島のすべてを照らし出す。
言葉と言葉、音と音、水と緑すべて。






千尋

ただひたすらに雨の降り続く屋久島。



時間はまちまちだがここのところ毎日雨が降っている。

1ヶ月に40日雨が降ると言われているのもおかしい話ではない。

何重にも重なった雲が果てしなく続き、空と自分とを大きく隔てる。




白谷雲水峡は、森が持ちきれなくなった水で溢れかえっていて、

空気にしっとりと重力を感じるようなところだ。

木々は苔で覆いつくされ、生命が満ちている。


一本の木に近づいて苔を間近で見てみた。

苔のひとつひとつがひとつの植物としてしっかり生きている。

ひとつひとつの個体が集まって木を形成し

木が林を形成し森を構成し山に広がる。

群生する苔は個体として名前をもたないが、

凛とした表情で生きている。




屋久島に着いてから2週間になるが、

ここでの生活は日にちの感覚を狂わせる。

もうかなり長いこと此処にいるような気がしてしまう。

現実から遠すぎる。


テレビをつければもちろんそこに広がるのは現実社会。

どこかの合衆国の新大統領の話や、

奈落の底にある音楽プロデューサー。

どのニュースを見てもどこか異次元の話を眺めているような感覚。


鹿児島から数時間南下しただけで、

距離はそこまで遠くはないはずなのだが、

精神的な距離はだいぶ掛け離れた気がする。




時間は誰にでも平等に分け与えられているけれど、

一旅行者として過ごす屋久島の時間は永遠の一歩手前くらいに感じる。



屋久島では、1ヶ月が40日間あるらしい。




白谷