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ノマドの森から - from the Nomadic Woods -

移動を続けるノマドの森から届く不定期郵便

7月30日、屋久島から一度鹿児島へと渡り、

その深夜、トカラ列島を縦断するフェリーとしまに乗り込んだ僕らは、

8月12日、フェリーとしまの終着点である奄美大島名瀬港に到着した。

予定より2日遅れての入港である。


鹿児島を出発したフェリーとしまは、口之島、中之島、平島と徐々に南下し、

第一の目的地である諏訪之瀬島に到着した。


人口わずか50人足らずの小さな島だが、

一時期は日本、アメリカなどのヒッピーたちから聖地とも呼ばれた島なのだ。


1970年代、当時のカウンターカルチャーの代表的存在の一人であるナナオサカキ氏は、

アメリカのビートニク詩人、ゲイリースナイダー氏とともに南西諸島を旅した末、

諏訪之瀬島にバンヤンアシュラムというコミューン(共同体)を作り上げた。

竹藪を切り開き、山から木を切り出して材木を集め、自分たちで道場を建設したのだ。

そしてその後続々とナナオ氏の仲間や無縁に近いヒッピーたちが集まり、

ここで自給自足の生活を実績していたという。


コミューン自体はすでに解体しているのだが、当時から今なおそこで生活を続ける人もおり、

僕はその人たちを訪ねるべく、この島にやってきた。

1960年代、70年代のカウンターカルチャーは、僕にとってとても興味深いものであり、

日本の近代史の大切な一場面であると僕は思っている。

そして僕はその歴史の一場面が切り開かれたこの島をいつか訪れたいと思っていたのだ。


屋久島に住む知人から預かった土産の焼酎を手に、連絡もなしに訪れた僕らを、

彼らは快く受け入れてくれた。そして島の暮らし、当時のコミューンの話などを聞かせてくれた。

道なきところに道を切り開いた彼らの話はとても鮮烈であった。

そして、この島の人口減少は、かなり限界にきているという話も聞いた。

このまま人口が減り続ければ、強制的に無人島とされる可能性もある。

諏訪之瀬島は、切実に次の世代を必要としている。


わずか3日間の滞在であったが、かけがえのない3日間となった。

そして僕らはさらに南へ、小宝島、宝島へと足を運ぶ。


小宝島でキャンプというよりは野宿にも近い5日間を過ごした後、

宝島に辿り着いた僕らを台風4号が襲いかかり、フェリーの予定は順延、

結局宝島には6日間滞在した。

台風は直撃はしなかった為、とくに問題なくゆるやかな日々を過ごすことが出来た。



そしてついに、奄美大島に上陸した。

これから約1週間、奄美大島、または加計呂麻島に滞在する予定である。

まだ生まれていない、台風5号の襲来を無視しての話だが。


トカラ列島での滞在記はまた後で改めて書くことにする。

奄美大島ではどんな未知が待ち受けているのだろうか。


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船内航路表示板


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諏訪之瀬島入港


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野山羊


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ゲストハウス


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露天五右衛門風呂


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牛の群れ


旅に出よう。

二年前の秋に旅を決意して地元を離れ、
最初に辿り着いたここ屋久島に移住者という形で滞在しはじめ、
二度目の夏を迎えた。
漁船に乗り込んで漁に出るたびに南の水平線を眺め、
未だ見ぬ南の世界に思いを馳せた。

積乱雲が広がる南の空。
トカラ列島の最北部が見えることもある。
僕はその島々をただ眺める。
いつの日か訪れることになるであろうその島々と、
そこに住む人々と、動物達と、
そこに広がる夜空と朝焼けの海。
頭の中を巡る景色は決して途絶えず、
目を閉じれば、海を眺めれば、
そこには海の向こうに広がる世界が待っている。

そして僕は旅を計画した。
漁労長に相談し、1ヶ月の休暇をもらった。
トカラ列島、奄美群島を巡り、
鹿児島の最南端与論島を目指す旅。
開け放たれたままだったバックパックに再び荷物を詰め込み、
テント一貼を背中に担ぎ、
ギターケースと土産の屋久島焼酎を2本抱え、
未だ見ぬ島々を渡り歩く。


時はやってきた。
僕は南西へと旅立つ。







あぜ道に立って辺りを見渡すと、そこはもう黄金色の世界。
屋久島永田地区は七月下旬の時点で、ほとんどの田で稲が穂を垂れて実っている。
稲刈りの季節が始まった。
北関東出身の僕にとって、この時期の稲刈りは考えられない。
僕の地元で稲刈りが始まるのは九月に入ってからなのだ。

水色の海岸線、
広がる田園、
そして背面にそびえ立つ永田岳。

それらのまるで異なった世界観の光景を一様に見渡せる、この空間は一体なんなのだろう。
よく言われていることだが、島の一部だけで日本列島の縮図を見ているようだ。
僕の地元はいわゆる田園農村で、
集落を一歩踏み出せばそこには限りない田園が広がっている。
山は遥か彼方に望むことが出来る。
海は無い。
無いと言ってもいいほどの距離がある。
車で三時間はかかる。
首を右から左にひねるだけでそのすべてが見えてしまう。
ここは僕にとって、空想にも近いところなのだ。

稲を刈る。
狩猟から農耕へと生活が移り変わっていった時代からの、
日本文化の大切な風景の一つだ。
僕もその風景に入り込むべく、永田の友人夫妻が手入れをする田の稲刈りを手伝った。

左手でしっかりと稲の束を握り、右手の鎌でそれを刈り取る。
背中に輝く朝陽のもと、その作業をただひたすら繰り返す。
刈り取った稲を藁で束ね、稲架に掛けて干す。
古来から脈絡と続く、儀式にも近い工程だ。

徐々に太陽の角度は高くなり、輝きを増す。
背中を焦がすようにうなる太陽の炎は、
昼頃にはもうすでに残酷なものになり始めていた。

あぜ道の日陰で皆で昼食をとり、作業を一時中断した。
昼の刺すように痛い太陽の下で、稲刈りを続けるのは非常に酷だった。

川に飛び込む。
火照った体が息を吹き返す。
まさに生き返った気分だ。
遥か山奥から湧き出るこの水は、
山の清涼な空気を十分に含んでいる。
奥岳の空気が体に浸透していくのがわかる。
そしてそれは、僕に深い幸福感をもたらす。

屋久島の夏の風物詩を全身で感じ取る。
まだ夏は始まったばかりだ。



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