抗がん剤治療に先立って、色々な検査で病院通いの合間、
土日や平日夜は無理のない範囲でいろんな人たちと会うようにしている。
抗がん剤治療が始まる前に元気な姿で会っておきたい、というのと
今まで伝えていなかった病気のことを初めて伝えるために。
乳がんのことがわかった当初は、
本当は自分が病気だっていうことは隠しておこうと思っていた。
言わずにやり過ごせたら、って思ってた。
なぜなら、言うのが怖かったから。自分がガンである、という現実から逃げたかったから。
自分の口で誰かに伝えたら、”私、ガンなんだ”っていう事実がそのまま自分にドーンと突きつけられるような気がして、口に出せなかった。
友人に言う以前に、そもそも自分自身にそれを受け止めるだけの覚悟もココロの準備も全然できていなかった。
おそらく90%以上の確率でガン確定ですよ、と言われてからも、その事実から逃げていた。
検査や診察で病院に行く瞬間以外は、仕事と遊びに忙殺されて、病気のことを考えないように過ごしてきた。自覚症状もないし、そうしていれば、全然元気だった。
それでも時々、テレビでガンのドラマやニュースを見るたびに、病院に行くたびに、何かがどーんと押し寄せて、ただただ泣いてすごした日もあったりもしたけれど、会社に行けば、友達に会えば、すっかり忘れることができた。
そうやって避けて通っていても検査は進み、手術の日が迫って来るわけで。
覚悟ができないまま当日を迎え、不安と混乱のまま意識を失い、麻酔から覚めたら私にはいっぱい管がささっていて、動けなくて、感覚が戻ったころには左胸はすっかりなくなっていた。
術後、5日間の安静期間は私に色々なことを考える時間をくれた貴重な時間だった。
仕事に逃げることも、我を忘れて友達と飲むこともなく、先生&看護師さん以外の誰とも話すこともなく、ひたすら1人の時間。
手術の結果を聞いて初めて、ちゃんと病気のことや今後の治療方法を調べ始めた。
文献いっぱい読んで、いろんな人のホームページや同じ体験を持つ人のブログも読みまくって、
5日間過ごしたら、自分がこれから1年間どういう生活になるのかがある程度見えてきて、覚悟をせざるを得ない状況となった。
辛い事実が多かったけど、有意義で私に取って必要不可欠な5日間だったと思う。
退院後、髪をバッサリ切り、にんじんジュース&自炊生活をスタートし、来る抗がん剤生活への土台を5日間で整えた。
もはや、がんであることが知れるのは時間の問題。
言っても言わなくても、周囲の人、少なくとも会社の人にはバレてしまう。
そして抗がん剤の副作用の状況によっては、仕事もまともにできなくなるし、友達とも今までのように遊べなくなるし、助けてくれている周囲の人、大切な友人には伝えておかないと、ってようやく、ようやく思えるようになった。
会社の人たちには状況報告とともに1人ずつ、できるだけ事実のみを正しく伝えるように、感情的にならないように、泣かないように、伝えていく。
回数をこなすごとに、普通な感じでサラっと口に出せるようになってきた。
みんな、驚きを抑えつつも、暖かい言葉をかけてくれた。
会社の人たちで少し慣れて、次は友達へも言えるかな、と思いきや
病気のことを自分の口から伝えるのは、思いのほかさらなるパワーが必要だった。
話を切り出すことができず、言えないまま帰宅してしまうことも。
近い友達ほど、親しい友達ほど、自分から切り出すのが難しい。
相手の反応を見るのも怖い。
それでも細々と何人かに伝え始めている中で、
私自身だけでなく、友達にも思った以上にショックを与えていることを思い知る。
思った以上に心を傷め、そして私のことを思ってたくさんのことを考えてくれていることが伝わってくる。
その様子を見ていると、話してよかったのか、話さないまま過ごした方がよかったのか、
モヤモヤは相変わらず募るのだけれど、
これから始まる長い抗がん剤生活、引きこもらずに会ってもらえる人がいるんだ、という事実は
暗い長いトンネルの中に差し込む一筋の光に思えて、
心が軽くなった気がした。
いつもは気安く、楽しく接してくれている気の置けない友人たちを
巻き込んで、気を遣わせてしまって、本当に申し訳なく、心苦しいのだけれど、
親身になって助けてくれて、支えになってくれて、本当に感謝しています。
ありがとう。