村人たちは大いに驚いた。
 
佐助は事情をかいつまんで説明した。
久しぶりに話すことばにずいぶんもどかしい思いをした。
 
天狗でないことがわかって、村人たちは一安心したが、同時に、よはんせんが牛やにわとり、作物などを盗んだことをなじった。
 
佐助はそれに対し、山から連れて降りた牛やにわとりは全部返すこと、よはんせんが漂着した際、人々に追われたため山の中で暮らさざるを得なかったこと、食べるものが足りなくてやむを得ず盗んだこと、その償いのため国に残した幼かった息子をしのんで彫った木彫りを残したこと、そして老いた今は一日も早く帰国してその息子に会いたがっていることなどを話した。
 
話を聞いて村人たちはよはんせんに大いに同情した。
そして庄屋はお代官に相談してみることにした。
 
やがて佐助とよはんせんは代官所に呼び出された。
そこでいろいろ取り調べを受けた結果、江戸の外国奉行へ身柄を差し回しということになった。
 
その頃幕府は、諸外国から開国を強く迫られ、ついに亜米利加を皮切りとして、次々と通商条約を調印し、横浜、長崎などを開港していた。
 
外国奉行の詮議の結果は、のるうえいとの国交は開かれていないが、乗り組んでいた船が英国船だったこともあって、よはんせんは横浜での居留を許され、便船があり次第帰国できることとなった。
 
また一方、佐助はその語学力を買われ、幕府通弁(通訳)として異例の抜擢を受けることとなったのである。
 
ふたりは喜び勇んで横浜へ向かった。(つづく)