義理の妹の旦那さんが今朝亡くなりました。

人工透析を2年ほど受けて、去年の今頃は盛大な50歳の誕生日パーティーを開いていたのですが、このたった2ヶ月の間に4回も手術をして最後の施術で心拍停止となってしまいました。

先月、3回目の手術の前後で面会に来ました。

会話もできたので少しほっとしたのですが、気になったのは、彼はその手術の後、生きる気力が感じられない気がしていました。

いつも周りを心配し、必ず最後に私に声をかけてくれる彼はどこか弱々しく次会う話をしてもあまりいい反応がなかったのです。

それがとても気がかりでした。

近い家族の死はこんなにも気持ちを揺さぶられるものなのだと生まれて初めて知りました。

危篤の連絡が来た時、嫌な予感がしました。でもあまりのパニックさ加減と日本だと「そんなに早く再手術?」という気持ちが私にブレーキをかけました。

結局次の日の飛行機で向かったものの、早朝空港で電話をもらい、訃報を知りました。

実は、今年初めに私の父も他界しました。残念ながら生前には間に合わず、納骨式に参列しました。

しかし今回は亡くなったご遺体と直接向き合うことがどんなに辛いか、そこに集まる人々がどんなエネルギーか、今考えるだけでも全身が痛いです。

悲しみだけではなく様々な人の感情がエネルギーとなって押し寄せるので、体力を使います。

特に今回は、早すぎる死とみんなが病院での対応に疑問を感じているからかもしれません。

なぜ、どうして、という感情が渦巻いていました。

インドのお通夜は亡くなられたらすぐにご遺体を家に運び、その日中に火葬場に運びます。

氷に包まれたご遺体は、安らかに眠っているようでした。

日本と違うのは、火葬の前、自宅にあったご遺体を外に運び出し、参列者全員がマリーゴールドの花とバラの花びらで故人を飾り、ご遺体を家族の男性陣がタンカに乗せて、火葬場まで、練り歩きます。

遠くに火葬場がある場合は、トラックに乗せて、親しい人が周りに同乗して日に花びらを巻きながら火葬場に向かいます。

インドにはいろいろな宗教がありますが、彼はヒンドゥー教徒です。

運ばれた火葬場は、いくつかのステージが立っていて、真ん中に金属で作られたベビーベッドのような形状の台が置かれていました。

ご遺体をベッドに移すと牛糞を敷き詰めて火葬の準備をします。

儀式として、亡くなった人の1番直属の男の子は、髪の毛を剃って白い布をまとい、遺体を運ぶ先頭に立ちます。

彼には子供がいなかったので、ずっと面倒を見ていた親戚の男の子がその役割をしました。

彼は遺体が仮装される前に全身水浸しになり、お坊さんの指示に従って、儀式を淡々と進めていきます。

本当なら女性は火葬場には行けないそうですが、現在はあまり男女の差別がないので、私や奥さん、姪も火葬場に行きました。

日本ではご遺体を火葬するのに棺に入れて機械で行いますが、ここではご遺体の周りに牛糞を敷き詰め、あの世で故人が困らないようにいろいろなものを一緒に燃やします。

牛糞は結婚式にも使うほどヒンドゥー教では意味があるもので、乾いた牛糞は臭いもなくよく燃えるんだそうです。

牛を神様とする宗教なので、牛糞と牛乳から作るギーでご遺体を燃やしました。

お通夜.お葬式と13日後に様々な儀式があるのだそうです。火葬した次の日は遺骨を骨壷に灰をガンジス川の支流に流しに行きます。

私の人生でここまで亡くなった方を間近で見ながら弔ったのは初めてです。

祖母や祖父も亡くなったのはずいぶん前のことなので、遠い記憶になっていました。

51歳と言う若さで、病気とは言えあまりにも早すぎる死はいろいろなことを考えさせられました。

異国の地の冠婚葬祭は、外国人の私になってはとても困難なものに感じました。

どんなに富を得ても、なくなってしまえば何も残らない。当たり前のことのようですが、今それを痛感しています。

そして1番苦しいのは亡くなった本人の家族たちです。

亡くなってからも、しばらくはいろいろな儀式や集まりがあります。

悲しみに浸る暇もない位忙しくしなければなりません。

自分がもし同じような立場だったら、こんなことができるのか、と考えてしまいました。

死は誰にでも突然やってきます。

頭ではわかっていても、亡くなった人を目の前にしたら、彼がこの世を離れるのを悔しい思いをしている事を感じてしまい、涙が止まりませんでした。

魂はまだその体に残っていて、奥さんの名前を呼び続けていました。

体が燃える前に儀式で口に聖水を含ませるのですが、まるでそれは涙のように見えました。

未練があるご遺体を見るのはとても辛いです。

父が他界した時、妹が棺に入った父の写真を送ってくれました。

 父は自分が死ぬことに対して新しい出発のように感じてる気がしました。

父は認知症を患っていましたが、それはまるで辛すぎた人生を本能が回避するかのように見えました。

だから父が死ぬことを私はあまり悲しんだりはせず、本当にあの世で幸せになって欲しいと心から思いました。

義弟の場合、腎臓を患ってからの彼は憤りばかりを感じていたのでしょう。

今年に入ってから、家族の死が続いてしまい、自分のことも旦那さんのことも改めて考えるきっかけになりました。

インドで、日本で、私のこれからの人生はどこでどのように終焉を迎えるのか「終活」を10年ぐらいかけて、きちんと準備しなければならないなぁと感じています。

海外に住むすべての日本人は同じことを考えているかもしれません。答えはすぐに見つからないけれどこれから探していこうと思います。