親は選べないのではなく、生まれる時に親を選んで生まれてくるのだという。

それなら、こんな気持ちになるのは親のせいではなくて自業自得ということか。

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珍しく、朝、母親から電話がかかってきた。

コロナ危機(もう経済的影響あるからこう呼んでいる)で、お金が必要になるならおくってあげようか、と。

親への仕送りが、何ヶ月かできなくなると伝えたのは事実だったから心配かけて悪いなぁと思いつつ丁寧に大丈夫だ、ありがとう、と返した。

が、

旦那がかわいそうだ、かわいそうだというのだ。貴方はちゃんとしないから旦那に迷惑かけてるんじゃないか、私に騙されちゃって、悪いのに捕まってかわいそう、と。

母に相談をすると必ず非難される。いい事を言っても非難される。何か弱音を吐くと、それは貴方が悪いと責められる、それが嫌で家を離れた。それは今に始まった事ではなく私が子供の頃からずっとそうだ。


これ。

ここ。


私の母は、絶対に褒める事がなかった。いい気になるな、偉そうにするな、おごり高ぶるなと言い続けられてきた。まだできてない、もっとすごい人がいっぱいいるから、と。


今でもどんないい事を話しても、嘘みたいだとか、偉そうにするんじゃないとか。話を聞いて欲しいのに、挙句に旦那がかわいそうだ、ときた。


もう、こうなると連絡も取りたくなくなる。話す気になれない。わかってもらえないから、なんか言われるのが嫌だから、自分が何やってるかあんまり本当のことを言わなくなる。


母に認められてないというこの気持ちがあるおかげで自己肯定が低くなる。今でもこんなふうに、たまにやってくる。そして距離を置いて、また繰り返す。


これを初めて聞いてくれて、理解してくれたのが旦那だった。人に話せて初めて自分を理解できた。それは人生で本当に運の良い幸せな事だった。


もう大人になってしまった私は、私自身を癒して、解決するしかないのだ。過去は変えられる。

そう思って、今回も解決する事にする。

子供時代に承認欲求を満たされなかった子供は、なんらかの精神的成長が止まるように思う。インナーチャイルドとかは珍しくない。自己肯定感が低い人間ができる。

日本にいたら、わからなかった事。それは、家族のあり方。子供を非難するインドの親は1人もいない。極端ぐらい自分の子供が一番と思ってる親が圧倒的に多い。子供は圧倒的な応援者がいるから立ち直りが早い。というか凹まない。引きこもりのインド人なんて🇮🇳いるだろうか、というぐらい聞いたこともない。

先進国だから、とも考えたが、インドには無職はいる。けど引きこもったりはしない。この違い。閉じ籠ったりしないのだ。

日本は、出る杭が打たれるどころか、引っこぬかれたりする。多分母の世代の日本はそれがよかった。

でも、時代が変わって、今はそれがさらにエスカレートして社会問題になってるのではないか。

みんな違うし、みんないい。これはインドスタンダードだ🇮🇳私は、ここが素晴らしくうなづけてしまうし、好きなところでもある。

アーユルヴェーダもそう。だからみんな違う。それを否定もしない。その存在を認める。

一番認めて欲しい相手が認めてもらえないのは、悲しいけど仕方ない。でも、ここまで自分の気持ちを因数分解して分かった事は、自分が強かったら何も思わないはずだ。求めるから傷つくのだから。

ここまで聞いてくれた人に感謝したい。これを書こうと思ったのは、第三者的に自分を見るためと、もし世の中でおんなじ事で苦しんでる人がいたら力になりたいと思うから。

貴方は人と違ってて、それが良いところだという事を伝えたい。唯一無二だから。さぁ、朝日を浴びて体を動かして少し汗をかこう。深呼吸して声を出そう。