どんな民族でも人間である以上、生理的欲求はある。
砂漠の民とて同じこと。ただ、砂漠だから水がない。紙もない。
私たちが親しんでいる「水洗便所+トイレットペーパー」スタイルは不可能だ。では、どうするのか。
現地では作業中、ときどきグループで現場から離れて行く作業員がいた。それも、男同士が手をつなぎながら、堂々と悠々と歩いていくのだ。彼らは、歩きながらときどき石を拾っては、それを手でもてあそんでいる。
「あいつら男同士で石遊びをしやがって」
と思いながら後をつけていったところ、何とウンチをしているではないか。コトを終えた後は、石でふき、それをポーンと投げる。途中で拾った石は、”砂漠のトイレットペーパー”だったのである。手でもてあそんでいるように見えたのは、熱いから冷ましていたにすぎない。でないとお尻がヤケドするのだ。
砂漠は、乾いたところで水がないから、彼らはものすごく乾いたウンチをする。後で”現場”に行ってみると、彼らのウンチが屹立している。日本のようにウニャウニャと渦巻いてはいない。バチンと立っている。ときどき倒れているのもあるが、元気なやつだと立っている。
やりたてのウンチは臭い。だが、数時間もすれば乾いてしまい、マシュマロのようになる。全然不潔感がない。
「これが本当の古”糞”だよ。孤軍”糞”闘だよ」
と、くだらない冗談を言い合って笑い飛ばした。
砂漠にはものすごく強い風が吹くが、どのウンチもみんな頑張っている。乾いたままで倒れないやつもいる。そこで我々は、日曜日の暇なときなど、ゴルフ棒を持って行って、ウンチの打ちっぱなし(ウンチっぱなし?)を楽しんだ。
ところが、日本人の専門家とか学者とかは、人の見ているところで、ウンチをするのに慣れていない。砂漠だから隠れるところがない。だから、彼らは朝だれも起きていないときにウンチをしようとする。だが、なかなか出ない。そのうち朝日が上がってくると、朝日がウンチしている姿を砂漠に映し出す。隠れているどころじゃなくて、ウンチ姿が砂漠の大スクリーンにダーッとパノラマ映写されてしまう。こうなると、もうできなくなってしまう。1週間くらい経つと、青い顔をして言い出した。
「Ishiiさん、もうウンチできない。」と。
そこで、基地に簡単な小屋を作って穴を掘り、台に乗って、ウンチできるようにした。しかし、砂漠の風は強烈だ。拭いた紙を落とすと舞い上がり、お尻にペタッとついたりする。
「やっぱり砂漠のウンチには石だ。」
と言っても、石で拭くわけにいかないから、石を持参し、紙で拭いた後、石を重りにして落とすことにした。紙が飛ばないように、同時に落とすのだが、そのテクニックがけっこう難しい。そのうち、アメリカからトレーラーハウスを持ってきて、きちんとしたトイレが出来た。トイレの専門家が日本から来て、砂漠の中に大きな穴を掘り、そこにウンチが流れるように配管した。ところが、この文明の利器にも欠点があった。たまったウンチがものすごく臭うのだ。砂漠の民は、外でして乾くから、何日間もすると臭いが消える。ところが、日本人はウンチを水で流して溜めるから、なかなか乾かない。臭いばかりすごくて、それが風で舞い上がるのだ。
現地では、高度な事務処理などを担当するエリート社員も雇っていた。彼らは、頭はいいし、ホテルや町に住んでいるから、水洗トイレも知っている。人種差別に敏感だ。
「あなた方と同じように、小屋のトイレを使いたい。」
と言い出した。2、3人に認めると、今度は現地人が、
「あいつらにやらせて、どうして俺たちにトイレを使わせないんだ。」
となった。ところが、彼らが使い始めると、トイレがすぐ詰まるようになった。配管を調べてみると、何と、石がゴロゴロと出てきた。紙が使えないから、水洗便所で石を使っていたのだ。
「Ishiiさん、これじゃあ何回直したってダメだよ。」
と、専門家は石を投げずにさじを投げた。
もはや差別とか何とかの問題ではない。生活習慣の違いは風土と密接に結びついており、風土の力の偉大さを痛感した。
<基地内に建設された日本人用トイレ>