「心・古教を照らす」「無心の読書」私が私淑している東洋哲学者の安岡正篤氏が、私たちに伝えてくれた言葉です。 「心・古教を照らす」は、本に読まれるのではなく、自分が主体になって本を読むことで生きた知識になる。という意味です。 「無心の読書」とは、読書や思索は無心でやるのがよろしい。 何かのためにするところがあると、せっかくの読書や思索も害になるとおっしゃっています。 何事も道を究める活動については、それが当てはまるのではないかと思われます。 芸や武道、スポーツばかりではなく、農業や他の活動においても無心にそこに打ち込むことが必要なのでしょう。