自らの体や感覚の衰えを感じながらも、それと寄り添って活動できていることに感謝しながら老いを学んでいるのですが、より多くの老いを学べるのは母の存在です。
満92歳を過ぎた母は、私よりは遙かに体も感覚も記憶も気力も衰えています。
気丈な母が衰えて行く姿は見たくはないものですが、それも自然の摂理ですからしっかりと見届けなければいけません。
人の振り見て我が振り直せという言葉がありますので、親の老い見て我が老い学べというところです。
老いとは私が想像するよりも残酷で厳しいものです。
誰にも迷惑をかけずに逝きたいと誰しも思うのでしょうけど、そうは行かないのが現実です。
老いが進むと、自分のことを自分で管理することが難しくなるので、本人も苦しいしいらだつ用です。
そして、その分を人に託すことになるのですから切ないのでしょう。
老いは心の余裕も持ちにくくなるようで、不平不満に対する耐性も衰え怒りっぽくなったりします。
人に施すことは喜びですが、施される方の立場は、ありがたくもちょっぴり切ない様な申し訳ないような気持ちになりがちです。
親の老いを目の当たりにして学ばせていただける私は、幸せなのかもしれません。
核家族化が進み、たまにしか親を見ない人には学べない貴重な体験ですから。
自らの老いを体現しながら親の老いを見届けることで、現在と未来の老いを学びより自分らしい老いを選択できるようなるかもしれません。
老いに対するメンタルトレーニングにもなります。