忘れない。忘れられないあの日のこと。その3 | つれづれなる、のろのろ日記。

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楽描き人(らくがきにん)のろこの、仕事・家族・地元・絵・写真・妄想などなど。
お気楽に読んでみてくださいね~。

ここからの続きです


私はふみさんの車に、Sさんはダスキンさんの車に乗せてもらい
隣町にある大船渡へ向かいました。

車内で、子供らの話をしつつ…

一晩明けた地元の風景を驚愕で眺めつつ…


本来ならば、無料で通っている高速道路(三陸道)を使うのですが
通行禁止の表示が出てたので、グネグネ道の国道を使って移動。


「家、どうなってるんだろう…心配だよねぇ…」


そんな私達の前を走っていた車が、ブレーキをかけて失速していきました。


どうやら前方に警察官が立っているらしい…
車の流れを目で追うと、警察官が
ここの道路を曲がってその先の中学校へ行け、という指示を出しているようでした。


いよいよ私達の番になったので、窓を開けて聞いてみると

「この先は波がまた来たときに危ないので、通らないようにお願いします」
とのこと。


またあの大きいのが来るかもしれない状態だなんて…
しかも
ここまで来たのにこの道路通れないんじゃ帰れないじゃん!




とは言っても…

警察官の指示するように、そこの中学校へ向かいました。




車を止め、その脇にダスキンさんが車を止めました。


「とりあえず… 中入ってみるか」

早朝から動いて、1時間もしないうちに足止めをくらい…
なんとも神妙な時間を過ごしました。

幸いにも、ここの避難所(学校の体育館)にはストーブがあって
とにかく可能な限り暖まりました。



そのうち、ふみさんは知り合いのおばちゃんにバッタリ会い、
お互いの無事を確かめ合って喜んでいました。


車では移動できない。
余震もある。
しかも
これからまた津波が来るかもしれない、ということを
大船渡の緊急津波広報で言っている…


仕方ない。ここでまず、待つか。



私達はしばし体育館で時を待ちました。
そのうちに…
私とふみさんは急激に睡魔に襲われ、体育館の片隅に場所を移して横になることに。

その間、Sさんとダスキンさんは外の様子を見に行ったり
色々な人から情報を聞いたりしていたようでした。





午後にさしかかろうとしていたときに
私とふみさんは目を覚ましました。

ろくに食べてもいないのでさすがにお腹が空いてきたけれど…
でも食べるものがないのでそんなに気にならず。


しかし。
私以外の3人は喫煙者。
タバコが無いと落ち着かない様子でした。


S「そういやさ…車では行けないだろうけど
  歩いてだったら国道沿いのあのコンビニには行けるんじゃないか?」
ふ「まぁ確かに行けないことはないべけんと…やってっぺがね?」
S「だってしばらくずっとここに黙っているよりは…いいんじゃねぇか?
  オレらもちょっと『蓄え』とか欲しいじゃん」
ダ「ですよね…」

ということで、天気の良いお昼過ぎに徒歩でコンビニまで行ってみることに。


私達と同じ考えなのか
歩いている人がチラホラ。

そして、眼下には…
見るにも無残な町の姿が。

トラックが線路の上に逆さまになっていたり
船が屋根に打ち上げられていたり…
ぐんにゃりと曲がったトタンの屋根が、ぶらぶらとぶら下がっていたり。

どこをどうすればこうなるんだよ、というくらい凄まじい光景。
「うわぁ・・・・・・」と言うので精一杯。

しばらく無言のまま移動しました。



そのうち、コンビニに到着。

ふ「やっぱやってないね~」
S「んーしょうがねっか…」
ふ「てかさ、ここからもうちょっと行けばおさかなセンターだよね」

ということで

今度は「おさかなセンター」を目指して歩く4人。


若干の坂道があるのでようやく登り切り、到着。

S「はー着いたー。
  自販機ねぇが?」
ふ「ないねーーー」


とそんな話をしていたら…
ジュージューと美味しそうな音と良い香りが立ちこめる…

その音の方に行ってみると


なんと、おさかなセンターの社長さんが
売るはずだったホタテを網に乗せて炭火で焼いていました。


「おお、これ食べてって! 好きなだけ食べてって良いよ!
 店にある分焼いてるんだけど、このまま冷蔵庫も使えないところに置いてても
 どうせ傷んで食べられなくなるから」


・・・・・!!!!

うわぁ…来た甲斐があった!!
本当に嬉しい・・・!!!!!

もちろん、皆遠慮無く頂きました。


でも、さすがに全部平らげるのはアレなので…
ほどほど食べてお礼を言い、また学校に戻ることに。




その学校への帰り道。
ふみさんは会う人会う人がお友達だったり知人だったりで
結構そこで情報が入ってきました。


そしてなんと!

ダスキンさんは実の弟さんにバッタリ!
弟さんは既に職場の方と復旧作業に取りかかっていて
職場の人達と揃って移動している最中だったようです。

そこでダスキンさんは弟さんと出来る限り話をし…

「詳しくはまたな!
 親達に、オレがここの中学校にいること言っといて!」



体育館に着いてから…

ふ「さっき聞いたんだけど、三陸道(無料高速道路)が通り始めたみたいだって!」
S「ホントに!?」

もしも本当に行けるのであれば…
少しでも家に近づきたい私達。


……どうする???




じゃあとりあえず、
もしもダメならば、またここ(中学校)に戻る。
行けるならそのまま行こう! ということに。


ダスキンさんも
ダメ元で自分の家に帰れるかどうか行ってみる!ということで
この後の行動が決まりました。


「無事に帰るんだよ!」とダスキンさんとはここで離れ
私達3人の行動になりました。


この時で大体午後3時半を過ぎたあたりだったでしょうか…

三陸道は見事、通ることが出来ました!


「やった!今日のうちに帰れるかもしれない!」



高速を降り、車で近づけるところまで行ってみたら…
私達3人の地元「赤崎町」に入る手前までは来ました。


「車では行けないから… ここからはそれぞれ徒歩だな。」
「そうだね。んじゃまずここに車を置かせてもらって…
 あとから私取りにまた来ればいいし」

と、車を紳士服売り場の駐車場に止めていたら…


道路向かいのコンビニがどうやら開いているようで。



「!!!!もしかして、あのコンビニ開いてるんでね?」
「お! ホントだ! 人が居る!!!」

そこで皆、各自で何か必要なものを買ってから行動に出ることに。



まずは食料。
あとは… 私も一応女なので生理用ナプキンも。(これが正解だった)
あとは…

とりあえず、こんな感じでいいか。

とレジに並ぶ。


レジは全て手動。
しかし、レシートを発行出来る機械があって、律儀にレシートも受け取った。

さて、出ようか… と思っていたその時。



「あれ~?」と聞き覚えのあるような声。

なんと!
ダンナの従兄弟親子だった!!!!



「わぁーーーーー!無事だったんだね!良かった!」
「今、オラ家でぁアンダん家に世話になってんだ」
「???」

最初、今ひとつピンと来なかったけれど…

「うちで、家が流されで無ぐなってしまったがら、家族で
 世話になってるんだ」


「……うちで? ってことは、うちの人達みんな無事???」
「おう!みんな居るよ」




・・・・・・・・・!!!!

もう声にならなかった。
みんな無事!

良かったーーーーーーーー!!!!


「これから家さ行ぐんだぞ。軽トラの荷台だけど乗ってあべ」
「行く!あ、でもね、今私1人じゃないの」

と、従兄弟にSさんを紹介して
一緒にうちまで乗せてもらうことに。



ふみさんとはここで離れることに。

ふ「私はここから歩いてこの道通って家に行ってみる。
 それじゃあまたね!気を付けて!!!」
私「ふみさんもねー」
ふ「またどっかで会うべし」
S「パチンコ屋でか?」

この2人はいつの間にか意気投合していて…
随分前から知り合いのような会話を繰り広げていたのが本当に救いでした。



夕方になり、風もいよいよ冷たさで痛くなってきた頃
私とSさんは従兄弟が運転する軽トラの荷台に乗せてもらい
我が家に向かいました。


もしあの時コンビニに寄ってなかったら…
私もSさんも歩いて移動していたことでしょう。
歩いているうちに日が暮れて、暗闇のなか移動しなければならなかったかも。


ガタガタと揺られながら…
時に、お尻をガツッとぶつけながら…

私「よかったねー! 帰れるよ!」
S「んだなー!」
私「私はみんな無事ってわかったけど…あとはSさんちですよね。」
S「逃げててくれてるとは思うけどねー」
私「うちらもしばらくは会えないべがら、元気でね!」
S「おう!オメもな」



めったに通ることのない険しい山道を通り、我が家があるところの
隣の地域に車を止め、そこからは歩きで移動。

どこかの家の木材を越え…踏み… そして歩き…



とうとう私は自分の家にたどり着けました。


私を見た義父が

「おお…!! おーい!おめだち!
 お母さん来たぞー!」

「ただいまー!乗せられて帰ってきたよー」


子供らが3人、私を出迎えてくれました。
みんなウルウル。

そりゃそうだよね…あんなことがあったんだもの。
しっかりギューッとしてから、家に入りました。




家の中には、親戚一家7人と
もう一組の親戚が3人。

家の中も、ふだんとは違って
既に食卓は「物を置く台」に変身していました。



そんな中…

茶の間で親戚と語らう義母と対面。

お互い「うわーーーーーーーー」と泣きながら抱き合いました。



「よかったーーーーー!
 本当にもう、本当にオラ、もうどうしたらいいのか…
 心配で心配で…
 子供らも何だか風邪気味みたいだし…
 アンタはいないし…
 もう、本当に…」


泣きながらそんなことを言っていました。

普段、感情をあまりあらわにすることがない義母。



とりあえず…
飲み物を飲んで落ち着いて…

Sさんも、これから先は歩いて帰らねばならないので
まずは一休みしてから
義父から道を聞いて、暗くなる前に出発。

「んじゃ、またな!」
「色々とありがとねー!また会うべし!」


こうして、Sさんも帰路へ…





これが、3.11から帰宅までの私の記録と記憶です。



*****



しかし壮絶なのは、この先でした。


喜怒哀楽なんて、哀、哀、哀、怒、みたいなもんで…
感情のバリエーションが本当に無かったです。


明るいうちに動き、暗くなれば寝る。
ガソリンがないので歩いて行き来。
電気がないので、全て手動。
家事をこなすので精一杯。


私は、毎日「自主防災」へ行きました。


物資の分け方や、緊急で知らせることがあれば班の人に伝えに行ったり
お知らせ事項があれば掲示板に大きく書いて貼る。

大体1ヶ月くらいは通いました。


公民館が被災したので、違う場所に自主防災の建物を構え
そこにいろいろと物が運ばれてきたりするのですが



その中には地元紙もあり…
情報はそこから入手。


必ず目にするのは、訃報欄。
毎日毎日、知ってる人の名前が載ってて何度目を疑ったことか…




もう、あんな悲劇はごめんです。

でも、どう頑張ったって
人間は自然に敵うわけはないんです。
だから

天災がやってきたとしても
どうかこれから先、誰も命を落とすことのないように…




出来ることをやっていけたら、と思っています。
でも、休み休みね。

私は、たくさんの人に恵まれています。
「頑張らなくていいよ」「休み休みね」と、コメントくれたりメールくれたり…

本当にありがとうございます。




振り返って書いてみて…
意外と覚えているもんだな、と思いました。

もう二度と、あんな悲劇が起きませんように。
でも、このことを忘れることのないように。