忘れない。忘れられないあの日のこと。その1 | つれづれなる、のろのろ日記。

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楽描き人(らくがきにん)のろこの、仕事・家族・地元・絵・写真・妄想などなど。
お気楽に読んでみてくださいね~。

のろこです^^

今回の記事は…
ご覧の通り、震災のあったあの日からの記事です。

ただ、つらつらと書いていく感じになりますが、お時間ある方はどうぞおつきあい頂けたらと思います。


3月11日。
私は、ふつ~に会社の2階でいつものメンバー達と仕事をしていました。

数日前に、やはりちょっと大きい地震があったんですが、
「やんたがねぁ… おっかねぁなぁ~地震は~。」
(いやだよねぇ… 怖いなあ地震は)
なんて皆で話してるくらいで終わっていたのです。

そして、午後14:46。あの地震が。

とてつもなく大きくて、仕事場のありとあらゆる物が揺れまくり動きまくり落ちまくり…
本棚は豪快に倒れ、デジプレ(版を出す機械)はゆっさゆっさと移動し始め
電気もブツッと消え、パソコンもデスクから落ちる始末。
大きい揺れは治まったけれど、次からはゆらゆらと常に余震。
そんな中、2階にいた私達は言葉を失いました。

唯一の1階への通り道になる階段が、物が落ちてきたせいでふさがっていたのです。
幸いなことに、それらは軽いダンボールやちょっとした冊子(大きいけど)だったので
各自貴重品を素早く持ち、ダンボールを手渡しでよけながら下に移動しました。

そんな中でも、揺れは続きます。
工場に行ったら、重さがトン単位の印刷機や断裁機が移動してました。
外に出てみたら、皆揺れと停電(信号が止まっている)でパニックになっていました。
会社の駐車場には凄まじい亀裂が。

家が心配な人(家族を残している人)は今からすぐ早く帰るように、と社長から言われ、
数人はそのまま帰路へ。
しかし、隣町から出勤している私とSさんは、
「今こんな状態だし、いまさら国道(45号線)行っても、渋滞だろう…」ということで
私達は、その後も会社で指示を待ちました。

まだまだ余震は続きました。とにかく、落ち着かない。
これは本当にただ事ではない。
そのうち、消防団員が消防車に乗って皆に呼びかける声が聞こえてきました。

「津波が来ます!! 早く高台に逃げて下さい!!」

数回会社の前を通ったでしょうか。
そのうちに
社長「車に何人かでまとまって逃げよう。それぞれ、高台に!」

他の人の逃げ道確保の為に、会社の裏側に自分の車を移動させ、免許証とiPodを持ち
私は、SさんとNさんの3人で、Nさんの車に乗り込み逃げました。


会社のじきそばには、市役所があります。
市役所前に公園があるのですが、そこが「避難場所」に指定されていました。
私は車内から、大きい荷物を持って避難している人達をそこで大勢見ていました。
赤ちゃんもいました。

まさか、その後惨事があるとも知らずに・・・・

Nさんはとにかく高台を目指して運転してくれました。
だんだん車も混み始めましたが、上手い具合に流れに乗って止まらずに移動できたような気がします。
移動中、至る所に知人やお世話になった人達が居ました。
あの人もいる・この人もここにいる… と。
そのうち、うちの実家付近も通ったのですが、車の流れを思うととても寄れるような状態ではなく
「逃げてるのかな…大丈夫かな…」という思いがある中、どんどん高台へ逃げました。

車を走らせること数分。

Nさん「ここまで来れば大丈夫でしょう」

高台になる住宅団地の一角に車を止まらせ、3人でラジオに耳をかたむけていました。
しかし揺れは一向に治まらず、だんだん自分が揺れてるのか地面が揺れてるのか
わからなくなるほどでした。
ラジオではとにかく

「車を左側に寄せ、落ち着いて行動して下さい」
「余震が続いています。落下物には気を付けてください」
「沿岸の方は、直ちに高台へ避難するようにお願いします」

とにかく、今回の地震がただごとじゃないことを伝えていました。

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どのくらいその場にいたでしょうか。

Sさん「このままここにいてもガソリン減るだけだし、施設かどっかに移動した方が
    いいんじゃないか?」

そういえば、もっと高台にはとあるスポーツドームがあったような。
そこに移動することにしました。

車を走らせながら、ふと町を見下ろすと…

・・・・・!? 3人で目を疑いました。
なんと、見慣れた町が水浸しになっていたのです。

「え? あれ、キャピタル?」「入り口、見えねーじゃん!!」
「てか、何か流れてるぞ」「海に行ってる??」
「木? 家? 何???」
「タピック、頭だけじゃん!!」

とにかく、目の前で起こっていることが信じられませんでした。
見えることをつぶやいているのが精一杯。
しばしその光景を見ていて呆然としていたのですが…
その日はとてつもなく冷えた日でした。
Nさん「寒いから、とにかく行きますか。」

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スポーツドームに到着。
とりあえず駐車場で一息ついていたら…
なんと、着信が。
ダンナからだった。

「もしもし!!」
「おおお!! オレだ!! 大丈夫か!? 生きてるな!!」
「私は大丈夫だけど、みんなは?電話が通じなくて」
「ん? オメ、家さ居たんだべ?」
「ううん!! 仕事だったよ!! 私今サンビレッジにいたの!!」
「は? 家でねぇのが?」
「違うよ!! サンビレッジ!!」
「サンビレッジ? 大船渡だべ?」
「違うよ!! 高田の!! 山のところ!!」
「・・?・・・し!!・・もし・・・!! 」

というところで電話が切れてしまった。

とにかく、私はダンナに無事を伝えた。
あとは家族の安否だ…
ダンナでさえもわからなかった、家族の安否。

でも、信じよう。無事でありますように…
子供ら、今日何してた時間だったのかな…
夢子はそろばん、ぷにゅんは学校で遊んでたのかな…
うにゃもんはお昼寝の時間だったのかな…

お義父さんは「津波はここまで来ないだろう」って言ってたけど…
でも逃げたよね? みんな絶対逃げてて…!!

そんな思いが何をしていても心のどこかにあり、そのうち

「ここにいらっしゃるみなさん!! 建物の中で助けを待ちましょう!!」と
リーダーシップを取ってくれた市内のスポーツ用品店の社長さんが言ってくれたので
皆で移動して、その日は施設で過ごすことになった。


長くなってきたので、続きます。