10月の下旬頃、だったと思います、上野公園野外展示場でサツキと共に
優しい柔らかなヌックイ、手作りの陶器にエンカウンター!
この日は一日中曇り空で、この陶器の色合いの共感度は、灰色の空が引き
立ててくれ、陶器の手作りの暖かさに包まれたひと時でした。
次の日は台風の到来で大雨でした。
テントの中の器は、受け皿になったかな?
受けましたか?
有田焼のライバルの波佐見焼き、桜窯から暖かい呑み込むものが
生まれました。
手造りはいいな。
ではウキペディアからご紹介します。
波佐見焼(はさみやき)は長崎県東彼杵郡波佐見町付近で産する陶磁器。
慶長年間、藩主大村氏が朝鮮から連れ帰った陶工に始まる。
丈夫な日用品が多い。
江戸時代から大衆向けの食器を巨大な連房式登窯で多量に焼いてきて、
今日でも食器生産が盛んです。
1990年代前半には、全国の生活雑器のシェアの1/4から1/3を占めた
こともある。
この前に立ったとき、思わすゴクリと口の中にあふれてくる唾をのんだ。
梅干の味のようだった。
まさに桜色の桜餅の世界でした。
一言でおいしそうな作品でした。
歴史
大村藩主の大村喜前が文禄慶長の役から帰国するとき、朝鮮陶工の李祐慶が同行し、
彼が慶長3年1598年に村内に登り窯を築いたのが始まりとされる。
当初は釉薬を施した陶器を焼いていたが、良質の陶土を発見したことによって
磁器生産が中心となった。
当初は三股郷の陶石を原料とし、青磁が主力であった。
その後、砥石として広く流通していた天草の石が白磁原料に向いている
ことが判明し、大量に天草砥石を購入して町内全土で磁器生産を行うように
なった。
大衆向け陶磁器を志向し、大量生産に特化してきた。
中尾上登窯(17世紀中葉-1929年)は全長約160mという巨大な窯であった。
有田焼と資源の争奪戦をした。
一方で、隣の有田・三川内との薪炭材をめぐる諍いも激しかった。
三藩が接する幕の頭(まくのとう)と呼ぶ山では、互いに領地を侵して
薪を盗んでくることも日常的で、山の中で乱闘・殺し合いも起きる有様
だった。
その結果、三藩の協議によって領地の見直し交渉が何度も実施される
ことになる。
幕の頭山頂に立つ三角柱の「三領石(さんりょうせき)」は、
薪をめぐる陶工たちの争奪戦からの産物である。
桜吹雪の中を舞う赤い龍は、遠山の金さんだ!
名付けて 「桜龍」
波佐見焼き
桜窯 黒崎昭敏氏
この作品はしっかり焼いた陶器だそうです。
TEL./FAX 0956-85-5110
桜餅の世界がぬっくい、ぬっくい!
今日の名言
見かけにこだわらず
手の温もりを添えて
素朴で味わいのある器
人に親しまれる器を・・・・・。
桜窯
赤富士が民芸品だけではないとくっきりと美しい姿をお披露目しています。
そうこの次は赤色作品をご紹介いたします。
う、赤富士に太陽か?月か?
想いがあふれすぎました。
黒崎ワールドをお送りしました。
ありがとうございました。
チェリオ!
(このブログはただのご紹介です。)