年末の忙しいさなか、
なんとなくつけたテレビで
宇多田ヒカルの番組が
あったので見てみた。
私は彼女のファンではないし
カラオケでも歌うことはないけれど
それは彼女の歌を聴きこまないと
私には歌えない難しさだからであって
まったく興味がないわけではなかった。
大勢の人が好きなものが
すべて魅力があるということでは
ないと思うけれど
彼女は本当に天才なのと
何か大事なことを伝えるために
生まれてきたので
やっぱり魅力的に感じるのだろう。
(そういう意味では天才って
やっぱり世に出てるよね。少ない
って言っても)
特に、人間活動に専念すると
言ってからは好きの方向に
ベクトルが動いていた。
そして、母親を亡くして出産した
彼女が作る歌を、たまたま
いつも見る朝ドラで聴くうちに
CMでも聴くようになり
(あんな軽装であんな山登れる
風な場面作っちゃだめじゃん
などと思いつつ)
折に触れ、彼女の母親に対する気持ちを
知るたびに少しずつ興味がわいてはいた。
そのタイミングでの、この番組。
初めて宇多田ヒカルの歌をガン聴き(笑)した。
「ともだち」という曲の
メロディーの稀有さにも
感動したけれど
「道」を初めてちゃんと聴いて
号泣してしまった。
私には人生のテーマとして
「家族」というものがあると
思ってきた。そこはかとなく。
もっともこれは誰にとっても
不可欠なテーマなんだろうけれど。
私の場合のそれは
大事な家族との関係性だ。
物語に出てくるような
お互いを思いやる実際の言葉や
行動から成り立つ家族に
あこがれ続けてきた。
でも、実際は感情のはけ口になったり
したりすることのほうがリアルな
家族だと感じてきた私。
宇多田ヒカルは自分の家庭が
どうもほかの人と違うと
感じてきたと語った。
それは母が歌手で父がプロデューサー
なら当然のことだと想像できる。
そこは私とは違う。
母は大きな存在で亡くなった後は
とても辛かったと語る彼女の
「道」で歌われる言葉からは
母親とのかけがえのない
関係性が見て取れる。
どんなに孤独でも
あなたが私の心の中にいる
私はひとりじゃない
と。
でも、そこには単純に
母親を大好きでなくしたことに
悲しみを持っているという
だけではないモノを私は感じた。
大好きなんだけれど、
100%のやさしさの愛情だけでは
なかった母との関係や
それでも母を偉大だと感じ
憎んだり嫌ったりもできない
せつなさ。
それは私自身の投影と
言えばただそれだけのことなんだけれど。
もっといろんなことを深く話し
たかった。
もっといろんんことを深く
聴いてみたかった。
もっと絆を強く感じたかった。
ただ、その方策がわかりにくい
というだけど、ちゃんと愛はある。
だからこそせつないと言うか。
わかりにくさは私自身が
創りだしている。だろうと思う。
でも母親の愛を自分の望む形で
求め続け報われずそれでも
諦めきれずに亡くなった後
やっと自分のものにできた感じ。
でも実体がもう無い虚しさ。
それが彼女にもあるように
感じて私は号泣した。
宇多田ヒカルは育児を
している中で、きっと人は
幼い時期に初めて体験することを
通してこの人生をどうやって
生きていくかを決めているのに
そのことを自分はまるで
覚えていない、そして
なんで私はこうなんだと思い悩む
と語っていた。
おそらく人はそうやって
悩んだりしているのだろうと。
そして彼女の原点は
間違いなく母親なのだと言った。
それは誰にとってもそうなのだろう。
ただ、その母がすぐに自分の世界から
存在しなくなったり、人柄やほかの
環境が上書きされてくるので
人によって様々なものになるだけで。
そうなるとすぐに母親神話みたいな
話になる世間では、もはやないのかも
しれないけれど、そう考えるひとは
きっと依然として多く存在するだろう。
そうではなくて、いかに無意識が
創られたのかに気づけるか、は
人生にとってけっこうな重要ポイント
なんだと改めて思った大晦日。