できない自分を認められるようになったら、またやってきた。
と言うか見えてきたんだよね。
常識、価値観の違いをどう認識していくのかってこと。
あるモノゴトをワタシはAと思っているが、周りはBとしか思わない。
そこでワタシはとりあえずBなんだと知るがやはりAとしか思えないので周りもそれを察知する。
すると、なんでBだとわからないんだ、Aと思うことがおかしい!とワタシは言われ途方に暮れる。
以前は、怒るか適応するかだった。自分で言うのもなんだがけっこう大変だっただろう(笑)ノウテンキな部分とスイッチを切り替える部分がワタシを生かしてきてくれたんだと思う。
よく頑張ってきた!(笑)
じゃあどうしよう。
浄化しよう。
書いていてまた一つ気づいた。
上記のような場合、ワタシは間違っているというレッテルを貼られる。非現実ルールで言えば正否はないが、現実ルールにはある。その現実ルールはしかもコミュニティで違うこともあり、判断がめんどうなこともある。
ワタシは、この自分のコミュニティ内のルールになんとか従おうとしていたのだ。それも一生懸命に。
だから「あーもうめんどくせー!!」となっていたんだな。
自分の中だけでそう叫んで浄化したら気づいた。社会という型にはまったできる人間になりたいんだって。それで得られる評価が欲しいんだって。
自己愛とは何かをしっかり認識して、できるようになりたい今の時期は、そんなのはかなぐり捨てよう。
周りとうまくやるための方策はまた別のコトで別の時期に。
iPhoneからの投稿