自分は鯉釣り依存症なのか | NO KOI NO LIFE

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破壊と再生を繰り返す鯉釣りヲタクのブログです。

私はここ数年、鯉釣り関連(釣り、ブログ、動画編集、情報収集など)に時間をとりすぎているような気がしています。

もしかして、依存症なのではないかと思い、ちょっと自己チェックしてみることにしました。



まず、依存症とは、そもそもなんなのかということを、ネットであらためて調べてみました。簡単に言うと、


①ソレをやめたいのに、やめられない。

②ソレを優先するあまり、大きな問題が発生している。

③ソレを中止しようとすると禁断症状が出る。


だいたいこんな感じです。



もう、この時点で私は依存症ではないことがわかりました。


まず、「やめたいのに、やめられない」ってのが私にはあてはまりません。確かに時間をとりすぎているような気はしていますが、これをやめる気は今のところないからです。ですから、「やめられるかどうか」という診断が必要ないのです。


次に、「大きな問題」というのは、例えば、大事な仕事の約束を無視して鯉釣りに行ってしまったり、子供の運動会をブッチして、家庭崩壊を引き起こすようなこと。あるいは、釣り道具にお金をつぎ込みすぎて、返すあてのない借金をしてしまい、親類縁者にお金の無心をしたりすることです。

つまり、社会的にダメ人間になることです。

これもあてはまりません。


それと、鯉釣りができないことに対する「禁断症状」に関しては、まったくありません。ブログも同じです。


というわけで、私は依存症とは関係ないことがわかりました。



で、


せっかくなので、もうちょい探ってみましょう。


依存症は大別すると、次の3つに分類されるようです。


①物質への依存

②行為への依存

③人間関係への依存


細かい説明はいいとして、鯉釣りは「行為への依存」になります。ちなみに、これはパチンコ依存症を代表とする「ギャンブル依存症」の仲間です。


で、この行為依存症になるメカニズムは、その行為をしたり、結果が出たりしたときに、脳の中にドーパミンとかエンドルフィンとかそんな感じのいわゆる「脳内麻薬」が分泌され、それによって快感が得られ、その快感が忘れられず、その行為を繰り返してハマっていくというものです。


ちなみに、パチンコ依存症の人は、お金を増やそうをしているわけではなく、柄がそろった時の快感が忘れられずお店に通ってしまうとのことです。ただ、これは無意識の場合が多いようです。


ん?


パチンコで柄がそろった快感は、鯉が「キタ」時の快感に似ているのではないでしょうか。

となると、鯉釣りと鯉釣り関連(ブログや動画編集)は分けて考えた方がいいかもしれないので、以下、鯉釣りという行為だけに主眼をおいて考えます。



脳内麻薬は、自分ではコントロールできません。

なぜかわかりませんが、私の脳は、他の魚釣りを差し置いて、鯉釣りに強い快感を感じているようです。だから、やめられないのです(やめる気はありませんが)。


では、私の脳は、鯉釣りのどこに快感を感じているのでしょうか


確かに大物が釣れる期待感というのはあります。しかし他の釣りならそれ以外に、アワセがキマった時の快感や、食べる快感、ルアー操作がキマった時の快感がありますが、鯉釣りにはそれらがありません(置きサオ・バイトアラーム式の場合です)。

釣りをしない人から見てももちろんのこと、他魚種の釣り人からしても、この釣りの魅力に関して首をかしげたくなるような、一見、魚釣りに見えないような、ある意味で奇妙な釣りです。


魚釣りの本質とも言えるこの三つの要素が、完全に欠落しているのに、なぜ私の脳は鯉釣りをしたがるのでしょうか。


実は、この疑問を解くヒントが、ウィキの依存症ページに書いてありました↓


≪行為の強化≫

報酬による行為の強化には、「行為A」のあとに必ず「報酬B」が与えられる定型的強化と、「行為A」のあと、気まぐれに「報酬B」が与えられる間欠的強化がある。間欠的強化のほうが、「行為A」への執着が高まることが知られており、これはギャンブル依存症発症の機序のひとつとされる。


簡単に言うと「コンスタントに結果が出るより、たまにしか結果が出ない方が、ハマりやすい」ということです。



なるほどコレかと思いました。


鯉釣りで、もし入れ食いだったら、とか、行くたびに大物が釣れたらとか考えてみましょう。もちろん、それはそれでうれしいことです。そもそも自分は鯉を釣りに行っているわけですから、釣れてうれしいのは当たり前です。


しかし、それが続くとどうなんでしょう・・・。


というか、間欠的ナントカの理屈で言うと、


実は「鯉釣りは、たまにしか釣れないことが面白い」と脳が判断している可能性があります


いや、これは可能性ではなく科学的にみて、そういうメカニズムがあるということです。


幸か不幸か、私の鯉釣りは毎回結果が出ているわけではありません。

この部分に、つまり、鯉がたまにしか釣れないところに私の脳は快感を感じてたという、ちょっと納得しがたい理由があったわけです。

たまに釣れたときの脳内麻薬は、それはもうハンパなく出てるのかもしれません。




ところで、そんなことより、



ここで大変なことに気付きました。

間欠的強化は、ギャンブル依存症の発症原因のひとつです。これはつまり、


鯉釣りは、依存症への花道がしっかり通っているということです。


今のところは楽しんでストレス発散している程度でいられても、何かの間違いで、アチラにイってしまう可能性が十分あるということです。


鯉釣りには、依存症になる要素がバッチリあるということです。






ところで、


依存症の他の特徴に鯉釣りあてはめて考えてみます。


≪異常な執着≫

前述したような、鯉釣りに執着するあまり、社会的責任を放棄するようなことです。


≪衝動性≫

鯉釣りを阻止されたら、感情が爆発してしまうようなことです。


≪否認≫

「オレは大丈夫」的な感じで、自分の異常性を認めないようなことです。



うむむ・・・。


・・・私に当てはまりそうなのは、「否認」でしょうか・・・。あ、執着心も普通の人よりあるような・・・あれ?そういえばNHKとか愛知県にちょっと感情的になってたような・・・。





いやいや、



何度も言いますが、「やめたいのに、やめられない」「大きな問題が発生してしまっている」「禁断症状が出る」ことが依存症の定義です。

私は鯉釣りをやめる気がさらさらないし、大きな問題も発生していません。


だから、この件は気にしないことにします。








いや、ちょっと気にした方がいいのかな・・・。