ピルによる血栓症で入院してから10年が経った。


突然に思いもよらぬ病気になり、死にそうに苦しい思いをしたあの時を今もはっきり思い出す。幸いに命拾いをしたものの、その一年後ぐらいからPTSDでパニック障害になった。


あれから10年経った今年、平穏に過ごせているかというと実はそうではない。


木曜日のこと。

仕事から帰宅する際に左脚に違和感があった。その日は運悪く帰宅時間に人身事故があり、満員電車で帰ったのだが、自分が乗った場所が優先席のところで、幼児と乳児を連れたネズミ国帰りの母娘がベビーカーを広げていた。ベビーカーに上のお子さんが寝ていて畳めないのだろう。どんどん人が乗ってきて、それを押さぬよう必死に踏ん張った。


それで疲れて帰宅すると、左脚の違和感は痛みに変わっていた。左尻、左の足の付け根から太ももにかけて痛い。股関節がうまく動かず、立ち上がる時など力を入れると痛む。痛み止めを飲んで寝た。



痛み止めを飲んだのにあまり効かず、寝ていても痛みが気になる。左脚を動かすと痛むので寝返りもうまくできず、よく眠れないまま朝になった。起きあがろうにもやっとで、狭い家のトイレへの短い移動すら足が痛くてヨロヨロする。ギックリ腰かとも考えたが、腰は痛くない。


しかしこの状態では仕事には行かれない。仕方なく欠勤し、整形外科へ行き、レントゲンを撮って診てもらった。診断は単なる腰痛か椎間板ヘルニアかはっきり分からないとのこと。一週間分の薬をもらい、それで良くならなければMRIで精密検査をするそうだ。


痛みのせいか、寝不足のせいか、朝から脈が早い。胸がドキドキして嫌な感じがする。病院からの帰宅中、なんか嫌だな…と思っているうちに、頭からサーっと血が引く感じがして、胸の鼓動が早まった。久々のパニック発作だ。


朝晩の血圧測定、手元のスマートウォッチで異常はなく、パニック発作だと頭では分かっている。しかし発作が起こると例えようのない恐怖に頭も心も支配され、脈がどんどん早くなって体が震える。死ぬのではないかと思い、手先が冷たくなる。


頓服薬を飲み、外出先の近くにあったカフェに入って休んで、落ち着いてから帰宅した。薬が効いて眠くなり、横になって寝た。病院の痛み止めが効いたのか、起きたら脚の痛みも気分もだいぶ落ち着いた。


急な脚の痛みの原因はよく分からない。

安静にして2日経った今は痛みはほとんど治り、それに関してはよかった。ヘルニアだったら大変だもの。だが久しぶりに大きなパニック発作が起きたのがショックだった。「あの感じ」を忘れることなく蘇り、恐怖する。10年経っても身体は全く忘れていない。


痛みで思うように動けないのに一人暮らしという心細さ、怖さが引き金だったのかな?自己責任とはいえ、こういう時に一人だと本当に心細い。頼れる親類もおらず、家を知る友人も少ない上、頼るのも申し訳なく思える。こういう性格だからパニック発作になるのかもしれない。


欠勤の様子見に連絡をくれる同僚もいて、異変を察した友人が心配して安否確認の連絡をくれても、頼ることが申し訳ない気持ちが強い。もう少し太々しく、素直に助けてを言えるようにならないと。ここが自分の課題と思う。


これは仕事の面でも同じ。一人で色々抱えてしまい、ストレスが溜まってしまうから。親にすら頼ったり甘えたりできなかった自分は、誰に対してもそれをうまくできない。この先は老いる一方で、人の手を借りずに生きられないのだから、今のうちに練習しなければならないなぁ。



生きながらえてからの10年は色んなことがあった。人生で最も楽しく、最もしんどい10年だった。いいことも苦しいこともたくさんあって、そこで学んだことは多い。今回もこうして一つ学んだ。


初診の病院に行くと「なんで血栓症になったの?」と聞かれることがある。この度の整形外科でも聞かれた。「あれは致命傷だよ。助かってよかったね」と医者から言われたこともあり、実際にそうだと思う。あの時死なずに済んでラッキーだったのだ。


まだこうしてその余波はあるけれど、いつか完全に恐怖感を払拭できたらいいな。


楽しいことで、苦しさや怖さを上書きできるように生きよう。