お盆休みにはじめて行った靖国神社参拝の続きです。

(*・ω・)


靖国神社の拝殿でお参りをして平和を祈り、御朱印をもらったあとは敷地に併設されている資料館「遊就館」へ。


一階の入口や売店、喫茶コーナーは入場無料で、二階にある資料展示コーナーは大人千円とのこと。せっかくなので中も見学することにしました。





夏休み期間は中高生の入館料は無料みたい。


小学生は常に無料のようだけど、展示内容を理解できるのは中学生以上ではないかしら?



入口を入るとすぐに飛行機が展示されています。


これは軍用機ですから、羽田や成田で飛行機のバックヤードの見物をするのとはテンションが違いますね。


徴兵され、訓練を受けて、これで敵地に向かうのか…と兵士の気持ちを想像しました。平和な時代であれば飛行機の操縦などすることがなかったであろう人がほとんどでしょう。


パイロットという言葉は華やかでも、戦争時はそうではない。命をかけて乗る乗り物です。




チケットを見せて二階の展示コーナーへ。


中の展示をすべてきちんと見ると2時間以上かかるとのこと。そんなにかかるなんて知らなかった。時短コース、じっくりコースと回覧順路が分かれているので、時間の都合で選びましょう。


私はじっくりコースを選択し、順に見て回りました。いきなり戦争の歴史に入るのではなく、太古の昔からの日本の歴史が紹介されています。歴史の教科書を辿るような展示になっていましたよ。


私はそこまでじっくり見るつもりがなく、要所要所を見て足早に進みました。昔の軍服や軍刀、戦争中の出来事や流れが細かく紹介されていますが、私が見たかったのは第二次世界大戦の頃の記録で、先ほど神社の掲示板に掲載されていたような遺書的な手紙などをじっくりと読みました。


別れを前にして家に残した家族を思う言葉はどれも重みがあって心に響きます。送る相手や内容は違っても、そのこころは皆同じでしょう。本心はどうであれ、やらねばならないことがある人の覚悟は重い。


もう戻ることはなく、会うことは叶わない。それを悟って腹を括り、ある境地に至るとああいう言葉が出てくるのだろうか。





どういう流れでどういう戦況になったとか、本当はちゃんと知っておいた方がいいのかもしれない。凄惨な戦地の内容を知っておくべきなのかもしれない。


けれどそれを詳しく知ったところで過去に起きたことは変わらないし、今を生きる人間ができるのは同じことを繰り返さないことだけじゃないのかな。

それを思って資料コーナーを出ました。



展示の最後の方は戦死して靖国神社に祀られている方々の遺影でした。


壁にずらっと並ぶ写真を見て、これだけの命が戦争で失われることの悲しさ、罪深さに切なくなりましたよ。


ロシアによるウクライナ侵攻のように、それをやると決めた人間は危険な現場、最前線にはいかないですよね。命令を下し、我が身の安全は死守する。そこに行かされるのは罪もない下々の人間で、それに振り回されるのも同じく普通の人たち。


我々ができることは、そういう動きをしたがる人間を選挙で選ばないことや、理不尽な動きには否を言える力を持つことなのかも。流されるままではいけない。おかしなことに対して何もせず、何も言わないというのは受け入れることだと私は思う。


平和を守り、武力を使わずに国益を守り、発展させる未来を描ける主導者が現れてほしいなぁ。先の不安ばかりを煽るような後ろ向きな日本のマインドをかき消せるような人がいてほしい。椅子取りゲームに勝って上に立ちたいだけで、具体案も明確なビジョンもないような政治家ばかりなんだもの。


日本もアメリカもトップ選びは究極の選択のような状況で、厳しい世の中ですけども…




はじめての靖国神社参拝。

怖い、重い雰囲気の神社かと思いきや、とても清々しい空気感の神社でしたよ。行ってよかった。


私の祖母は戦争未亡人で、最初の夫は戦死したそうです。だからここにいる御霊の一つなのですよ。名前もわからないけれど、その方のことを思って手を合わせました。


祖母は戦後に婚家から離籍し、戦地から帰還した祖父と再婚したのですが、そのことはわが子にも死ぬまで隠していました。私は祖母が亡くなる前に母方の祖母づてにその話を聞き知っていたのだけど、父は祖母が亡くなった時の手続きで戸籍を見て初めて知り、ショックを受けていました。叔父や叔母は今も知らないはず。


そういえば小中学生の頃に社会科の授業で祖父母に戦争体験の話を聞いてくるようにという課題があり、祖父母に当時のことを尋ねたことがありました。しかしどちらに聞いてもよく覚えていないと言うのですよ。その時は田舎だから被害が少なかったのかな?と私は考えたのですが、きっと違う。


今思えば、祖母にとっては夫を失った悲しみが蘇ったのでしょうし、祖父の方も戦地での記憶が蘇ったのでしょう。祖父は戦争の時にシナの桂林に行ったそうで、そこで撃たれた弾の破片が足に残ったままだったらしいと後年父から聞きました。しかしそういう話は私達の前では一切しませんでした。


何を見て、どんな思いだったか、記憶が生々しくて強い痛みのある人は簡単に口にしない。そういう人に無理に聞き出すことはできませんし、戦争体験者はどんどんいなくなりますから、こうした場所で学ぶことは意味があると思います。


お盆、終戦の時期は過ぎましたが、今の日本の平和に感謝し、その礎を築いてくれた方々に敬意をはらうべく、機会があったら靖国神社や遊就館へ足を運んで見てください。


上に書いたようにとても清々しい場所ですよ。

(*・ω・)




お土産コーナーも充実してます。

参拝の記念にぜひお立ち寄りください。