だいぶ時間が経ってしまったが、私はこの夏にはじめて靖国神社を参拝した。
靖国神社というと、最近は某国人が放尿しただの落書きしただのという嫌なニュースや、総理大臣や国会議員が公式参拝をした時に近隣国が機嫌を損ねたというようなニュースがほとんど。明るい話題で出ることがない。
そして靖国神社という場所は普通の神社と異なり、戦争で亡くなった英霊たちが祀られているという特殊な場所のため、これまでなかなか足が向かなかった。神社に併設されている資料館には、特攻前に家族に宛てた手紙などが展示されていることも知っており、それを思うとどうしても暗い気持ちになってしまうからだ。
なぜだかわからないが、今年のあるときにふと「靖国神社へ行こうかな?」と思い立ち、しばらくの間迷って行った。なぜ迷うかというと、私のような無知でちゃらんぽらんに生きている人間が軽い気持ちで訪れてはいけない場所なのではないかと思ったから。英霊達に顔向けできない気がする。
しかし自分ももういい歳で、見るべきものは見ないといけない。戦争関連のものは旅先でも絶対に見なかった私もついに覚悟を決めた。
都心に用事のあった週末の午後、用事を終えた後で地下鉄に乗って九段下駅へ。
歩いて数分で靖国神社に着いた。
日本武道館のすぐそば。
ここにあったのか!と今さら驚く。
靖国神社の案内図
はじめてなので、まずはこれを見て位置関係を頭に入れた。と言っても別に迷うような場所ではなく、道なりに参道をすすめばいいだけだ。
広々とした参道を進む。
蒸し暑い日だったけど参拝客はそこそこいた。
スーツ姿の人もいれば、何かのイベントついでと思しきコスプレ系の格好の人もいて参拝客は多種多様だった。外国人もいる。
大きく、さっぱりとした雰囲気の手水舎で手と口を浄めた。
この先が拝殿で、そこでお参りをした。
日本が平和で、平穏でありますように。
それをただ祈る。
この神社で私欲にまみれたお願い事などできない。少なくとも自分はそう。
拝殿のそばにある掲示板
兵隊さんが特攻の前に家族に宛てた手紙が紹介されている。
学生時代の社会の授業でもこういうのを読んだがが、その時も自分と変わらない年代の人が書いた文とは思えなかった。家族を思う気持ち、自分に与えられた仕事をきちんと成し遂げようとする覚悟が伝わり、だらしなく生きている己を恥じてしまう。なぜこんなにも冷静でいられるのか、大人びているのか。40過ぎの自分よりもずっと落ち着いている。
私が戦争関連の史跡を避けてしまう理由はそれだ。その時代に命をかけて戦い、必死に生きた人たちに恥ずかしいような生き方をしているせいだろう。自分なりに一生懸命生きているつもりでも、この人たちが生きた時代とは比較にならない。
こういう方たちが命をかけて戦い、今がある。日本人はそれを忘れたらいけないよね。私は別に右でも左寄りでもないが、戦争というのはしたくないし、してはいけないと思う。
せっかくなので御朱印をいただいた。
最近はどこの神社も季節限定など洒落た御朱印があるものの、ケチな私は基本的にその神社のスタンダードなものをいただいている。
ここでこんなことを言いたくないんだけど…
書き置きの御朱印は印刷に見える気がする。
500円も取るのに印刷なの?とショックよ。私の見間違い出なければおそらくこれは印刷よ。
平和への思いを込めて参拝した後で思わぬガッカリに見舞われてしまった。下手くそでもいいから手で書いてほしいわ。
せっかくの靖国神社参拝なので、例の資料館も立ち寄ってみます。