今年も誕生日がやってきた。

もう若くはないけれど、一年生き延びられた事は素直に嬉しいし、めでたい。こんなご時世だし、私よりも私を産んだ母の方がそう思っているだろう。



振り返ると一昨年の秋頃からずっと、わたしは真っ暗な闇の中を必死に歩いている気がする。


楽しい日もあれど、心の中は生まれ故郷の冬空のように重く曇る日が多かった。パニック発作の再発だとか不安な要素も色々ある。


それでもなんとかまた誕生日を迎えられたし、自分の身に起きた様々な出来事は全て意味があったのだろう。悩み、痛み、苦しみから学び、自分の奢りや誤りにも気がつくことができた。人として多少の成長はあったはずだ。


次の誕生日を迎える頃には少しでも心の雲が晴れ、青空が見えていたらいいな。そうなるように真摯に生きていきたい。



毎年誕生日は今の心情をB'zの曲の歌詞で例えているのだけど、今年は「ZERO」かな。


ZEROは私が自分で初めて買ったアルバム、「RUN」に収録されているB'zの有名人気曲。このアルバムの収録曲は「さよならなんかは言わせない」「月光」「Baby you’re my home」など名曲揃いだ。


ZEROの歌詞にある、


ゼロがいい、ゼロになろう

もう一回


今の私はそういう気分。

気分というか、実質ゼロスタートだし。






人は何も持たずに生まれてくる。

つまり、ゼロからのスタート。


生きていくうちに色んなものを手に入れるけれど、それを失う恐れも持つようになる。


手にしたものを失う事を恐れ、それに縛られて身動きができなくなるから、「荷物が増える」ことは良くも悪くもある。ここでいう荷物とは物のことだけではなく、自身のプライドや立場、そういうものを含めた全部のこと。


たとえ全て失ってゼロになったとしても、命さえあれば何だってやり直せる。そして生きている限り、何をするにも遅すぎるということはない。


このことはよく書いているのだが、自分が病気をした後に深く悟った大切なことだ。生きているという事以上に価値のあることなど、おそらくこの世にはない。今が苦しくとも、生きているだけで可能性があるのだから。



物や人、自然、全ては変わりゆくもの。

ずっとそばにあるとは限らないし、常に変わっていく。


地震などの自然災害に巻き込まれたり、予期せぬ出来事で大切な物を突然に失うことは誰の身にも等しく起こりうる。


大事な何かを失くしても、命があり、前を向いて歩き続ければ、それに代わる物やもっと良い物を再び手に入れることができると私は信じている。ゼロになることは終わりではなく、振り出しに戻るだけ。だからそれほど恐れなくても大丈夫。



もし、進む方向を選択する場面が訪れた時。

何かを失うことを恐れてそこに留まる人生よりも、ゼロになってでも自分が信じる道を選びたい。


なぜならば、生まれた時と同様に死ぬ時も何も持っては行かれないからだ。だからこそ自分が本当に望む方へと進みたい。これまで散々自分の本心に漬物石で蓋をして生きてきたし、人生を終える時に「あの時ああすればよかった」という後悔はしたくない。私はもう嘘をついたり、逃げたくない。



人生は心のままに行動したもん勝ち。

それに必要なのはお金とかじゃなくて意思と勇気。


義務や義理、常識や世間体に囚われるよりも、自分の心が本当に求める方へ歩むのがいい。そっちへ進めば自ずと力も湧くし、必ず道も開けてゆく。


さあ来年の誕生日はどの曲がはまるかな?

それを楽しみに、また一年がんばろう。





★おまけ★

自身の誕生日祝いの記者会見を気にも留めず、堂々たる姿で爆睡する神戸のお嬢様パンダ「タンタン」


私もこのぐらいの心の余裕を持ちたいなぁ。

これこそが自分の目指すべき姿な気がする。


あーだこーだとウダウダ考え込むよりも、こんな風に力を抜いて生きるのが一番幸せなんじゃない?

(;^ω^)