低容量ピルの副作用で血栓症になった時の記録。
ここまでの流れをざっくり振り返り。
ある日の帰社時に突然死にそうに苦しい思いをした私。その翌日に行った近所のクリニックで本当の病気を見つけてもらえず、パニック障害との誤診をされました。そのため両足に血栓がぎっしり詰まっているという事に気づかず、年末年始に予定通り台湾旅行を決行してしまいます。
治療は早くて一週間、長くて一ヶ月かかると宣言され、各種血栓溶解処置を受けて、結果的に三週間ほど入院治療をしました。
↓診断書
退院前、再びCT造影検査と心エコー検査を受けました。
入院中最後のこのCT造影の前、いつものように若い女医さんが造影剤投入ルートを打ちにきたのですが、相変わらず下手くそでとても痛かったです。そのせいかどうか分かりませんが、撮影の際に造影剤を投入した直後、液が漏れて腕に激痛が走りました。痛い!!と言いましたが、少し我慢して下さいと言われて撮影は続行。
造影剤が血管から漏れるとものすごく痛いです。撮影技師さんに言われ、病室に戻ってから看護師さんにアイスノンを借りてすぐに腕を冷やしました。それでもパンパンに腫れ、一日ほど痛みました。最後の最後でこんな目に遭うなんて、やはり私は「持ってない女」なのでしょう…
翌日、撮影した画像を見ながら先生の説明を受けました。
膝下にごく微小な血栓が残っていましたが、この大きさならば問題ないとのこと。入院時に血管に沿って真っ白に写っていた血栓は、もうほとんど見えなくなっていました。
退院後は再び血栓ができないよう血液をサラサラにする「ワーファリン」という薬を数ヶ月服用し、何も問題が起こらなければ治療は終了となります。服薬中は血液の状態を確認するため毎月通院が必要となり、ちょっと面倒ですが仕方がありません。当然ながら、入院前に服用していた低容量ピルはもう飲んではいけないと言われました。
生理痛や排卵痛を軽くしたくて安易に服用し始めたピル。それがこんな大事になるなんて思いもしなかったです。この入院に際しひと月ほど仕事を休んだ訳ですが、病名とその原因を上司などに説明するのに難儀しました。血栓というのを理解できる人が中々いませんし、病気の原因も言いづらかったです。でも全ては自分の責任ですから、出来る限りきちんと話しました。
退院まで数日という日、検温にきた看護師さんが色々大変だったねと労ってくれました。そして「好きな旅行も当分行けなくて残念だけど、ここで少し休めたかな?」とその看護師さんに言われ、ハッとしました。
たしかにそうかもしれない…
一般病棟に来るまでは大変でしたが、ここにきてからはゆっくり過ごしていました。入院前は時間に追われて毎日必死に仕事をしていたのに、ここに来てその仕事を辞める事さえも決めましたから。
命に関わるほどの病気とはいえ、これは私にとって必要な経験、時間だったのでしょう。これが無ければあのままがむしゃらに働き続け、いつか違う形で身体と心を壊していたような気がします。
そしてもう一つわかった事がありました。
仕事帰りに死にかけたあの日。
「ここで死にたくない」と強く願ったのです。
私は子供の頃からつらい事が多く、人生というものに絶望感がありました。わりと本気でいつ死んでもいいと思っていましたし、「死にたい」とか冗談めかして言うことも多々あったのに、いざとなると死にたくなかったんですよ。本当は死にたくない自分というのに気がつきました。
看護師をしている地元の親友にこの入院の事を連絡したら、自分の病院では原因不明の体調不良を訴えて来院した患者が診察待ちの間に亡くなった事があると教えてくれました。死因は私と同じ肺塞栓症だったそう。私も運が悪ければこの方と同じようになっていたかもしれません。あの日、その可能性がかなりあったのです。
こんな事から、運良く助かった命を大切にしよう、これからはちゃんと生き直そうと心に誓い退院しました。
余談ですが、この時の入院治療費は二万円ちょっとです。入院直後にICUの看護師さんから高額医療費の手続きをしておくように言われ、夫にやってもらいました。それをしなければ、かなり高額だったと思われます。
日本の税金や保険料は高いですが、いざという時はこんな風に恩恵を受けられるんですね。これも含めて学ぶことの多い入院でした。
最後に血栓症のことをまとめます。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
写真は退院後に行った「天香回味」
久しぶりの外の空気、大好きな台湾の味は格別でした。