ブログに時々書いているが、私はいわゆる「機能不全家庭」の育ちである。

いい言葉ではないが「毒親」と呼ばれるもの。
うちの場合は父親が家庭に無関心、母親が子供に過保護、過干渉だった。心から親に甘えた経験はおそらく一度もない。

どんな事情か未だにはっきり分からないが父は中卒で、私が小学生頃に職人業を独立して自営業となった。母は公務員。とてもチグハグな二人で、学歴の話は家庭内でタブーだった。

父と母は短気同士で喧嘩が多く、お世辞にも夫婦仲はいいと言えなかった。田舎ゆえ男が強く、女は従うものという感じ。祖父母が同居だったので余計にそうだった。

いつどうなるか波乱含みだったせいか、母はいつも「公務員になるか、手に職をつけなさい」と私に言っていた。公務員ならば給料の男女差がほぼなく、技術職は食いっぱぐれがないと。要は男に頼らず、自分の生活を賄うようにしろという意味だった。

結婚は離婚前提、だから主婦になどなってはいけないという思想。未だに母は主婦を嫌っており、クソ味噌に言う。その家庭でそれぞれ事情があるなどとは考えないのか、自身がそうなれなかった悔しさからだと思う。




私は文系で、料理など家庭的なことが好きだったので、本当はそういう仕事がいいなと思っていたが、「食べ物商売はダメだ」と言われ諦めた。何を言っても論破されるし、とにかくこの家を出なければと思い、高校を出たら行きたくもない製図学校に行くことにした。手に職の道を選んだのだ。

成績は悪くなく、大学も行けたと思う。けれど4年間も学校に行くのは長く感じ、また受験勉強が大事な時期に家庭内が最も荒れていて、毎晩私の部屋で母が父と祖母の不満を愚痴るのを聞かされていたので受験勉強など出来なかった。

親の理想に叶うから学費も出してもらえる。興味のない学校ではあるが、とりあえず家を出られるし、東京に行ける。とりあえずもうこれでいいやと流され、諦めていた。



そんな時、高校の授業で担任が話していたのが「その道のプロになるには」という話だった。その道のプロには二種類いる、一つは才能があってなる人、もう一つは成り行きでなって、努力をしてなる人だと。君たちがこの先どういう人生を歩むか分からないけれど、自分が決めた道のプロになれるように努力を惜しまないように、という内容だった。毎年、上京してきた春になるとこの話を思い出す。

私はこの時点で成り行きで歩き始めていたので、この話がずっと頭に残っている。色んな失敗を経て、私は今「その道のプロ」になった。食べていくには十分な収入も得られている。親の言う「手に職」を身につけたおかげだ。

お金の問題や受験の失敗などで、思うような人生を歩めない人もいると思う。こんなはずではない、やりたくない、と思う道に進むことは悔しいと思う。

けれど、とりあえずは自分が進んだ道の「その道のプロ」になれるよう努力してほしい。途中で投げずに続ければ、いつかなれるから。努力というのは必ず結果がついてくる。

そうして安定してから、その道のプロとしてずっと生きていくのもいいし、本当にやりたい事を諦められなければそれをやるのもいいと思う。道を変え、方向転換してダメな時は、プロの道に戻ることも出来る。

私はいつか、どこかで小さいお店でもやりたいなと夢見ている。気まぐれな料理を出し、人と笑い合える店ができたら楽しいだろうなと考えている。「手に職」の仕事は認められているけれど、ずっと続けたいとは未だに思えないのだ。やはり本心で好きではないからだろう。好きではない、本意ではないことは、どんなに条件が良くとも続けるのが苦痛になるのが人だと思う。

人生長いし、ちょっとの躓きぐらいやり直せる。
諦めず、ちょっと夢を見る方が楽しい。
夢を見るのはタダだし、自由。
心だけでも自由でいましょう。