深部静脈血栓症及び肺塞栓血栓症(いわゆるエコノミークラス症候群)のカテーテル治療の処置を終え、再びICUに戻りました。

 

処置が終わったのは夕方頃。点滴、検温等で看護師さんたちが入れ替わり立ち替わりやってきて、バタバタとしていました。この日の夕食は食べたかどうか覚えていません。消灯前に歯磨きをしたり、熱いタオルで軽く体を拭いて着替えた事は記憶しています。あちこちに管があるので看護師さんに着替えを手伝ってもらいました。

 

着替えといえばこの日の朝、前日夫にお願いしておいた下着や寝巻などの荷物を受け取ったのですが、中身を見て愕然。入院なのでコットン系の下着を持ってきて欲しかったのに、思うようには伝わっていなかったようで「なぜこれを…」と思うような物ばかりが入っていたのです。災害用に買ってあった紙パンツまで入っており、彼の混乱ぶりが伺えました。

 

細かく説明するのが面倒臭くなった私は、夫に「ユニクロに行って2枚か3枚セットで売られているパンツを買ってきて」と頼みました。色柄は何でもいいし、店員さんに言って適当に見繕って貰えばいいから、と。優しい夫は私のこのお願いを聞いて買ってきてくれたんですが、今思えばこれは鬼のような命令だと思います。男性一人で女性の下着売り場へ買いに行けなんて、鬼以外の何者でもないよな…と後になって深く反省しましたよ。

 

 

↓参考画像(ユニクロHPより拝借)

 

 

 

一つ前にも書きましたが処置後に寝かされた場所が落ち着かず、この晩も熟睡は出来ずウトウトしては起きるのを繰り返して朝を迎えました。寝た気がしないまま朝になり、朝5時頃に採血、その後に先生が来てベッドの上でエコーと心電図検査を受けました。どういう理由か分かりませんが、入院中の採血は早朝の4時や5時頃といった起床前の時間ばかりでした。そこで起こされるので眠れないイライラが増えていきます。

 

 

こうして入院三日目、ICU生活三日目が始まりました。

朝食は普通に出ましたが相変わらず食欲がなく、少しつまむ程度。お膳を下げにきた看護師さんから心配されました。この日は朝から頭が痛くて、そのせいで余計に食べられなかったのです。私は昔から偏頭痛持ちで、この日は朝から目の奥がえぐられるようにズキズキと痛みました。

 

午前の面会時間に夫と母が来て、夫はお願いした通りのユニクロの下着を持ってきてくれました。母はそんなお願いをした私に呆れ、夫に詫びていました。母は私がICUに入院したことに驚き、文字通り新潟からすっ飛んできました。宿も取らずに家を出たので病院から近い宿を夫と二人で探したそうです。


この面会の後に一旦家に戻ると聞き、正直言ってほっとしました。母は昔から過保護、過干渉で、面会の時もあれこれと心配して口を出してくる為それに疲れていたのです。ICUの面会時間は午前と午後のごく限られた時間でしたが、短時間でも気を使ってしまうのが本音でした。

 

皆が自分を心配してくれている、それはよく分かっています。

けれど、そっとしておいて欲しいという気持ちが日に日に強まりました。一人になりたくても常に視線を感じ、夜も眠れない。トイレさえも自由に行かれず人の手を借り、お風呂にも入れない。ベタつく髪を触ると悲しくなりましたし、心が荒んでいきました。仕事は今がピーク時なのにどうなっているんだろう、私はこの後どうなるんだろう、様々なことをグルグルと考えました。

 

頭痛がつらいので薬が欲しいと看護師さんにお願いしましたが、使っている薬剤との影響はないかを確認しないと出せなそうで、出るまでに時間がかかりました。看護師さんは頭痛が和らぐようにと肩をマッサージし私を気遣ってくれて、私は感謝と申し訳なさでいっぱいでした。


私は育ちのせいか人に弱い所を見せたり、甘えたりするのが出来ない性格で、こんな時でさえ夫や母に弱音を吐けませんでした。せいぜい眠れないと言った程度で、怖いとも苦しいとも言えず大丈夫という風に見せていました。この苦しさを分かってよ…などと思っていましたが、そんなのは無理ですよね。

 

病気の治療は順調に進んでいるのに、心の状態は逆にどんどん病んでいきます。単なるわがままと言われたらそれまでですが、人は現実感の伴わない思わぬ状況に追い込まれた時、すぐには順応できないのが実情ではないでしょうか。これは自身が体験して初めて分かりました。家族や誰かが同じような経験をした時にこの経験を生かさなければ…と考えています。

 

続きます。